2013年7月8日月曜日

戦争という公共投資

結局、アメリカの経済を完全に立ち直らせたのは、第二次世界大戦という大規模な軍事支出であった。アメリカがこの大戦に費やした軍事支出は巨大で、四年間の軍事支出だけで、開戦前のGDPの三倍にも上った。政府購入は、一九四一年から急増し、一九四三年と四四年にはGDP全体の半分近くにも達する。つまり、政府の公共投資がGDPを二倍に押し上げるという事態になったのだ。公共投資の中身は、言うまでもなく戦争である。この大戦により、実質GDPは、終戦の年の一九四五年には、開戦前の一九四〇年の約二倍となった。平均成長率は、実質でI―I5%という顕著なものであった。

「戦争という公共投資」は、なぜうまく機能しなくなったのかその後、アメリカは戦争を繰り返すことになる。一九五〇年六月に始まり一九五三年七月まで続いた朝鮮戦争でも、軍事費は大きく増え、政府支出全体も、GDP比で15%台から20%を超える水準に一気に膨らんだ。一九五三年には23%台後半に達する。とはいえ、第二次世界大戦当時と比べれば、アメリカ経済に対するインパクトは、半分程度だった。一九四九年と一九五三年を比べて実質GDPの成長も、四年間で  一一‘%であった。年率で6・2%である。一九四六年から一九四九年の間の実質GDPの成長率が、三年間でわずか3%弱であることを考えると、朝鮮戦争という公共投資は、第二次世界大戦ほどではないにしても、アメリカの経済成長に大きく寄与したと言える。

このように、アメリカは軍事支出という巨大な公共投資によって、大きな経済成長を味わうという体験を二回もしたことになる。それは、意識的であれ無意識的であれ、経済が停滞すると戦争を求めるという体質を生んだ。その後、アメリカが関わることになる三つの大きな戦争、ヴェトナム戦争と湾岸戦争、そしてイラク戦争については、その思惑は当たったのだろうか。ヴェトナム戦争の期間で見ると、政府購入のGDPに占める割合は、本格介入前年の一九六四年に21・6%だったのが、ピーク時でも23・1%になったに過ぎず、後半には再び、21%台に戻っている。経済全体に対するインパクトは、GDP比で、1%程度の影響力しかもたなかったことがわかる。ヴェトナム戦争では、その前二つの戦争でみられたような、大きな経済刺激効果は得られなかったのである。

湾岸戦争は、アメリカ軍がイラクへの空爆を開始した一九九一年一月から四月初めの正式な停戦までの三か月の短期戦であった。一九九一年の軍事費はむしろ減少しており、政府支出のGDP比も前年より減少している。湾岸戦争のアメリカ経済への効果は、ほとんどなかったと言える。イラク戦争は、二〇〇三年三月にアメリカ軍を主力とする多国籍軍がイラクに対して攻撃を開始して始まった。イラク戦争中に、政府購入のGDPに占める割合は、19%弱であり、同時多発テロ以前の二〇〇〇年の水準と比べると、一一〇〇三年で、1・5%の増加を認めている。二〇〇三年の実質GDPの伸びは、前年比で2・5%である。二〇〇〇年から二〇〇二年までの実質GDPの平均成長率は、1・4%であるから、―%程度、GDPを押し上げたのかもしれない。

このように見てくると、なぜ、第二次世界大戦や朝鮮戦争の時には、大幅なGDPの増加が起きたのに、ヴェトナム戦争以降、巨額の軍事費をつぎ込みながら、その効果が前の二つの戦争ほど大きくないのかは明白である。経済自体の規模が、非常に大きくなっているので、一見巨額に見える軍事費でさえも、かつてほどは、GDPを押し上げるインパクトが乏しかったということである。財政赤字だけを増やすことになったのである。例は悪いが、アメリカの「戦争という公共投資」が示していることは、公共投資によって経済成長を取り戻そうとした場合、中途半端な規模では、ほとんど効果が期待できないばかりか、財政赤字を悪化させるだけで終わるということである。経済を別物に変えるような変化を期待するのなら、思い切った規模の投資をしなければ、すでに巨大になった経済を動かす力にはならないのである。それと同時に、後の章でも見ていくように、投資の中身が非常に問われる時代になっているのである。