2013年7月12日金曜日

政治的思惑と打算で動く日本政治

一方、民主党の頭痛の種は「ウォール街を占拠せよ」の層になる。ここに引っ張られると、政策があまりにも左に寄りすぎてしまって、中道右派を取り込めない。右でも左でも極端に行きすぎると、大統領選挙には勝てないのである。結果として、新陳代謝の盛んな移民国家アメリカにおいてさえ、最近は若い世代は上の世代の既得権を壊して、社会を変革することが難しい状況になっている。では日本の政党政治ではどうだろうか。いまの日本においては、そもそもアメリカのような「保守匹リベラル」「右派沁左派」といった政治上の価値観の対立が存在しない。だから若い世代が「極左」や「極右」に流れることもなく、大きな政治勢力として結集することも考えにくくなっている。

英国や米国では、経済政策以前に、人種や階級、宗教のような、もっと根源的なレベルでの階層分化が現実にある。英国の保守党と労働党、米国の共和党と民主党は、じつはそれらの根源的レベルの違いに立脚している。根っこの部分で二つのコアがあって、そこをペースに二つの政党が形成されているのだ。五〇年、一〇〇年という長期的なタームで考えると、たとえば、現在のWASP(白人、アングロサクソン、プロテスタント)のファミリーが孫の代でも相変わらずWASPである確率はかなり高い。黒人やヒスパニック系、アジア系にもある程度同じことが言える。もちろん混血が増えて徐々に境界は曖昧になってくるだろうが、いきなり全員がクロスオーバーで結婚するはずはなく、むしろモザイク型の人種構成が続く可能性が高い。

そう考えると、おそらく一〇〇年後も、白人や経営者層を支持基盤とした共和党、マイノリティや労働階級をペースとした民主党、という構図は残っているはずである。二〇四〇年代には、非白人系のマイノリティが米国民の過半数に達するという予測もあり、パワーバランスは変わってくるかもしれないが、「我が家は先祖代々共和党員です」とか「うちはずっと民主党支持です」といった強固な支持層がいるかぎり、二大政党が存在し続ける確率は高い。一方で日本はどうかというと、民主党にしろ、自民党にしろ、そういう根源的レベルの違いに立脚していない。

自由民主党は昭和三〇年に、強くなった社会主義勢力に対抗する目的で、政策よりも政局的な理由で分裂していた二つの保守政党、「自由党」と「民主党」をくっつけてできた政党だ。同じく現在の民主党も、自民党による長期政権を倒す目的で、旧民社党、旧社会党さらには旧自民党の勢力も加わってできた党である。政治的な思惑と打算によって、このような現象が生じてきたのだ。「市民」不在の「市民運動」これに対し、「かつて日本でも、『資本家四労働者』、『自民党匹社会党』という対立があったじゃないか」と言う人がいるかもしれない。私は、それらはまやかしだと思っている。

そもそもリベラル勢力の人々が言う「市民運動」の「市民」とはいったい誰なのか。ここで言う「市民」が英語だとしたら、就業者の約九割が給与所得者という日本の現状を考えると、ごく普通のサラリーマンのことを指すはずである。ところが、市民運動に参加している人を見ると、企業に勤めているのはむしろ少数派で、たいてい自分で確定申告している層である。だから、本当に「市民」を代表しているのか、という疑問がある。その意味で、「市民運動」の「市民」像は、一部のインテリがっくり上げた、きわめて上滑りなイデオロギーの産物だ。そういう曖昧なところに立脚しているから、話がどんどんねじれてしまう。クラシカルな「資本家匹労働者」や「大きな政府匹小さな政府」というフレームワークをいまの日本社会に持ち込んでも、政策的な対立軸としてほとんど効果がないのは、やがて両者が入り交じってしまうからだ。