2013年7月10日水曜日

総合的な国力を反映

基軸通貨は、経済力ばかりでなく政治、外交、軍事から文化に至る総合的な国力の反映である。ドルをめぐるひとつの視点は、政治と軍事の分野に潜んでいる。イラク、アフガニスタン情勢の混迷や原油、金価格の上昇など、冷戦後の「平和の配当」を謳歌した九〇年代とは打って変わって、〇一年九月十一日の米同時多発テロ以降は、三十年前の第四次中東戦争や石油ショック時を想起させる出来事が、目白押しとなっているからだ。「もはやこれ以上、米国が軍事力を行使せずにいるわけにはいかない」。一九七三年の第四次中東戦争で、アラブ諸国から原油の全面禁輸措置を受けたニクソン政権のシュレジンジヤー国防長官は、クローマー駐米英国大使にこう告げた。

英政府が〇四年一月に三十年ぶりに公開した石油ショック当時の機密文書が、米国の真意をえぐり出した。米国は油田を制圧するためにサウジアラビア、クウェート、アブダビヘの侵攻を計画、英国にも共同歩調を求めてくる、と英統合情報委員会(JIC)は分析していた。「道理をわきまえない国々の言いなりにはならない」。石油ショック時のニクソン政権の言い分は、三十年前の発言とは思えない。当時も今も日本の世論は、こうした国際政治の深淵から目を背けている。経常収支と財政収支という米国の「双子の赤字」がドル安の背景にあったのは確かだが、ジョージ・W・ブッシュ政権は「米国が『最後の買い手』の役割を務めているからこそ、世界経済は回っている」との立場を崩さなかった。こうしたマクロ経済の公式論にもまして、ドル安の本音として米企業の輸出支援を通じた大統領選挙対策が色濃くにじんでいた。

そもそも米国は、自国経済と政治日程に合わせて通貨、資源、軍事という三位一体のカードを使い分けてきた。公開された英政府の機密文書があぶり出したのも、石油メジャー、ペンタゴン(米国防総省)、ホワイトハウスという複合体の行動原理にほかならない。三位一体といえば、グリーンスパンFRB前議長も単なる金融オタクではなかった。天然ガスなど資源・エネルギー問題にも造詣が深く、ブッシュ政権のチェイニー副大統領は議長の分析に耳を傾けていた。中曽根康弘元首相はその著『自省録』(新潮社)のなかで、石油ショック時の田中角栄首相が資源外交で米国のトラの尾を踏んだとの認識を示す。「田中君は日本独自の石油開発に積極的な姿勢を表わし、アラブ諸国から日本が直に買い付けてくる『日の丸石油』にも色気を見せたのです。これが、アメリカの石油メジャーを刺激したことは間違いありません」

中曽根は、「このことが淵源となり、間接的に影響して『ロッキード事件』が惹き起こされたのではないかと想像するところがあります」とも記している。陰謀説ともとられかねない指摘だが、その次にこんな記述がくる。「ずいぶん経ってから、キシンジヤーとハワイで会った時に、彼は『ロッキード事件は間違いだった』と密かに私に語ったことがあります。キシンジヤーは事件の真相について、かなり知っていた様子です」中曽根大勲位も、通貨、資源、軍事の三位一体の深淵をのぞいていたのではあるまいか。ただし、ロッキード事件陰謀説には徳本栄一郎『角栄失脚 歪められた真実』(光文社)が反証を提示している。

ポールーオニール元米財務長官によれば、ブッシュ大統領は政権発足時からイラクのフセイン政権の打倒を目指し、閣議でも疑義を唱える声がなかった(ロンーサスキンド『忠誠の代償』日本経済新聞社)。イラク占領という形で、その望みはかなった。中東民主化政策の向こうには、原油資源の安定的な確保という目標が透けて見える。三十年の時差など存在しないかのようだ。日本でも、基軸通貨に憧れる議論は、後を絶たない。そうした論者が、基軸通貨のメリットとして、真っ先に挙げるのがシニョリッジ(seigniorage =通貨発行益)だ。紙切れである紙幣を通貨として流通させることで、政府は通貨価値と紙切れプラス印刷代の差額を稼げるというわけである。