2013年7月13日土曜日

暴走した「金融爆弾」

取材班は、取材を申し込むために、直接訪ねることにした。歩いていくと、二〇〇メートルくらい先に、レンガ作りの大きな邸宅が見えてきた。ここがファルド氏の邸宅なのか? なかから家族と思われる中年の女性が応対に出てきた。「すみません、日本のテレビ局なのですが」「ここは私有地なのよっ。テレビ局だろうと、そんなの関係ないわよ! いいですか、言うことを聞きなさい。聞かないと、警察を呼ぶわよ!」女性は凄まじい剣幕で怒鳴り散らし姶めた。これ以上滞在するならば警察に通報するという。取材班は、敷地内かどうかよく知らずに立ち入ってしまったことを丁重に詫びた。だが、ファルド前会長に取り次いでもらうことはできなかった。

アメリカ金融界に莫大な富をもたらし、そして破たんに導いたものとは何だったのか? その裏でエリート金融マンたちは、いったい、何をやっていたのか? 二〇〇八年一一月下旬、リーマンーブラザーズの北米部門は、イギリスの大手証券会社に買収された。その後も、多くの元社員たちはマスメディアの取材に、口を閉ざし続けている。リーマンーブラザーズのみならず、ゴールドマンーサックス、モルガンースタンレー、メリルリンチも、取材に応じないのは同じだった。ある投資銀行の関係者は声を潜めて言う。

「私たちはみな、メディアに対して内部事情を口外しないということを、雇用契約のなかで交わしている。もし、しゃべったことが会社に知れたら、会社は法的措置も辞さないんだ。勘弁してくれよ」世界金融危機が起こった直後ということもあって、厳格な守秘義務に守られたアメリカ金融界のガードは固かった。それでも取材を続けていくうちに、アメリカの投資銀行に勤めていた元従業員と接触することができた。まだ四〇歳になっていない田中元義さん(仮名)は、ヘッドハンティングで引き抜かれ、これまで二つの投資銀行に席を置いたことがある。数千万円の年俸を得ていたエリート投資銀行マンだ。問題となった、証券化商品の関連部署に所属していた田中さんは、投資銀行が証券化商品を作るうまみについて、解説してくれた。

「カメラの前では言いにくいんですけど、投資銀行にとってプレーン(単純)な証券化商品はそんなに収益幅がないんですよ。だから、商品に複雑性があり、なおかつ、それを自分たちの手元で作り上げることがポイントです。我々が商品を作るコストと、投資家が払うコストの差分をより広くする、つまり儲けが大きくなるように追求できますからね」さらに田中さんは、こうした商品を売りさばく投資銀行マンの心理を、生々しく語った。「人がどうなってもかまわないから儲けたい、とは思わないにしても、一般的な世界よりも、欲がむき出しの世界なんじやないかな。自制が効かなくなってしまうというか」「どんなローンが入っているかなんて、わかりません」ニューヨークの目抜き通り、五番街近くにある、高層ビルが立ち並ぶ一角。ここは通称、ヘッジファンドストリートと呼ぼれている。

一撰千金を狙う「ヘッジファンド」が集まる知る人ぞ知る地区だ。あるビルの案内板には、「インベストメント」「キャピタル」などの文字が並んでいた。さまざまな金融投資会社が入居していることがわかる。このビルにオフィスを構えている、ある投資会社が取材に応じてくれることになった。その会社は、投資銀行が作った証券化商品を売買していた。出迎えてくれたのは、トルコ人の社長。この会社は、世界中の金融機関などを顧客に持ち、およそ七五〇億円を運用しているという。社員はドイツ、中国、アルバニアに、パキスタン、そして日本と出身はさまざまだ。みんな、欧米の投資銀行などから転職してきた金融マンたちである。この会社で投資家への営業を担当する山田さん(仮名)は、「アメリカの投資銀行から、さまざまなタイプの証券化商品の売り込みを受けていた」と明かしてくれた。