2013年7月13日土曜日

暴走した「金融爆弾」

取材班は、取材を申し込むために、直接訪ねることにした。歩いていくと、二〇〇メートルくらい先に、レンガ作りの大きな邸宅が見えてきた。ここがファルド氏の邸宅なのか? なかから家族と思われる中年の女性が応対に出てきた。「すみません、日本のテレビ局なのですが」「ここは私有地なのよっ。テレビ局だろうと、そんなの関係ないわよ! いいですか、言うことを聞きなさい。聞かないと、警察を呼ぶわよ!」女性は凄まじい剣幕で怒鳴り散らし姶めた。これ以上滞在するならば警察に通報するという。取材班は、敷地内かどうかよく知らずに立ち入ってしまったことを丁重に詫びた。だが、ファルド前会長に取り次いでもらうことはできなかった。

アメリカ金融界に莫大な富をもたらし、そして破たんに導いたものとは何だったのか? その裏でエリート金融マンたちは、いったい、何をやっていたのか? 二〇〇八年一一月下旬、リーマンーブラザーズの北米部門は、イギリスの大手証券会社に買収された。その後も、多くの元社員たちはマスメディアの取材に、口を閉ざし続けている。リーマンーブラザーズのみならず、ゴールドマンーサックス、モルガンースタンレー、メリルリンチも、取材に応じないのは同じだった。ある投資銀行の関係者は声を潜めて言う。

「私たちはみな、メディアに対して内部事情を口外しないということを、雇用契約のなかで交わしている。もし、しゃべったことが会社に知れたら、会社は法的措置も辞さないんだ。勘弁してくれよ」世界金融危機が起こった直後ということもあって、厳格な守秘義務に守られたアメリカ金融界のガードは固かった。それでも取材を続けていくうちに、アメリカの投資銀行に勤めていた元従業員と接触することができた。まだ四〇歳になっていない田中元義さん(仮名)は、ヘッドハンティングで引き抜かれ、これまで二つの投資銀行に席を置いたことがある。数千万円の年俸を得ていたエリート投資銀行マンだ。問題となった、証券化商品の関連部署に所属していた田中さんは、投資銀行が証券化商品を作るうまみについて、解説してくれた。

「カメラの前では言いにくいんですけど、投資銀行にとってプレーン(単純)な証券化商品はそんなに収益幅がないんですよ。だから、商品に複雑性があり、なおかつ、それを自分たちの手元で作り上げることがポイントです。我々が商品を作るコストと、投資家が払うコストの差分をより広くする、つまり儲けが大きくなるように追求できますからね」さらに田中さんは、こうした商品を売りさばく投資銀行マンの心理を、生々しく語った。「人がどうなってもかまわないから儲けたい、とは思わないにしても、一般的な世界よりも、欲がむき出しの世界なんじやないかな。自制が効かなくなってしまうというか」「どんなローンが入っているかなんて、わかりません」ニューヨークの目抜き通り、五番街近くにある、高層ビルが立ち並ぶ一角。ここは通称、ヘッジファンドストリートと呼ぼれている。

一撰千金を狙う「ヘッジファンド」が集まる知る人ぞ知る地区だ。あるビルの案内板には、「インベストメント」「キャピタル」などの文字が並んでいた。さまざまな金融投資会社が入居していることがわかる。このビルにオフィスを構えている、ある投資会社が取材に応じてくれることになった。その会社は、投資銀行が作った証券化商品を売買していた。出迎えてくれたのは、トルコ人の社長。この会社は、世界中の金融機関などを顧客に持ち、およそ七五〇億円を運用しているという。社員はドイツ、中国、アルバニアに、パキスタン、そして日本と出身はさまざまだ。みんな、欧米の投資銀行などから転職してきた金融マンたちである。この会社で投資家への営業を担当する山田さん(仮名)は、「アメリカの投資銀行から、さまざまなタイプの証券化商品の売り込みを受けていた」と明かしてくれた。



2013年7月12日金曜日

政治的思惑と打算で動く日本政治

一方、民主党の頭痛の種は「ウォール街を占拠せよ」の層になる。ここに引っ張られると、政策があまりにも左に寄りすぎてしまって、中道右派を取り込めない。右でも左でも極端に行きすぎると、大統領選挙には勝てないのである。結果として、新陳代謝の盛んな移民国家アメリカにおいてさえ、最近は若い世代は上の世代の既得権を壊して、社会を変革することが難しい状況になっている。では日本の政党政治ではどうだろうか。いまの日本においては、そもそもアメリカのような「保守匹リベラル」「右派沁左派」といった政治上の価値観の対立が存在しない。だから若い世代が「極左」や「極右」に流れることもなく、大きな政治勢力として結集することも考えにくくなっている。

英国や米国では、経済政策以前に、人種や階級、宗教のような、もっと根源的なレベルでの階層分化が現実にある。英国の保守党と労働党、米国の共和党と民主党は、じつはそれらの根源的レベルの違いに立脚している。根っこの部分で二つのコアがあって、そこをペースに二つの政党が形成されているのだ。五〇年、一〇〇年という長期的なタームで考えると、たとえば、現在のWASP(白人、アングロサクソン、プロテスタント)のファミリーが孫の代でも相変わらずWASPである確率はかなり高い。黒人やヒスパニック系、アジア系にもある程度同じことが言える。もちろん混血が増えて徐々に境界は曖昧になってくるだろうが、いきなり全員がクロスオーバーで結婚するはずはなく、むしろモザイク型の人種構成が続く可能性が高い。

そう考えると、おそらく一〇〇年後も、白人や経営者層を支持基盤とした共和党、マイノリティや労働階級をペースとした民主党、という構図は残っているはずである。二〇四〇年代には、非白人系のマイノリティが米国民の過半数に達するという予測もあり、パワーバランスは変わってくるかもしれないが、「我が家は先祖代々共和党員です」とか「うちはずっと民主党支持です」といった強固な支持層がいるかぎり、二大政党が存在し続ける確率は高い。一方で日本はどうかというと、民主党にしろ、自民党にしろ、そういう根源的レベルの違いに立脚していない。

自由民主党は昭和三〇年に、強くなった社会主義勢力に対抗する目的で、政策よりも政局的な理由で分裂していた二つの保守政党、「自由党」と「民主党」をくっつけてできた政党だ。同じく現在の民主党も、自民党による長期政権を倒す目的で、旧民社党、旧社会党さらには旧自民党の勢力も加わってできた党である。政治的な思惑と打算によって、このような現象が生じてきたのだ。「市民」不在の「市民運動」これに対し、「かつて日本でも、『資本家四労働者』、『自民党匹社会党』という対立があったじゃないか」と言う人がいるかもしれない。私は、それらはまやかしだと思っている。

そもそもリベラル勢力の人々が言う「市民運動」の「市民」とはいったい誰なのか。ここで言う「市民」が英語だとしたら、就業者の約九割が給与所得者という日本の現状を考えると、ごく普通のサラリーマンのことを指すはずである。ところが、市民運動に参加している人を見ると、企業に勤めているのはむしろ少数派で、たいてい自分で確定申告している層である。だから、本当に「市民」を代表しているのか、という疑問がある。その意味で、「市民運動」の「市民」像は、一部のインテリがっくり上げた、きわめて上滑りなイデオロギーの産物だ。そういう曖昧なところに立脚しているから、話がどんどんねじれてしまう。クラシカルな「資本家匹労働者」や「大きな政府匹小さな政府」というフレームワークをいまの日本社会に持ち込んでも、政策的な対立軸としてほとんど効果がないのは、やがて両者が入り交じってしまうからだ。

2013年7月11日木曜日

日本をしっかりグリップする

二人の会話は、〇三年九月二十日に中東のドバイで開かれたG7会議の前。G7会議を「大事な選挙キャンペーンの場だ」と割り切る「ローズ」は、「中国と日本に通貨安定策を迫り、結果としてドル高政策の修正を迫る。そうすれば産業界は大喜びさ」と言い放つ。「潜在的な敵国である中国はまだしも、尻尾を振ってくれる日本はどうするの?」。こう尋ねる「ダイス」への、「ローズ」の回答がふるっている。「介入資金は円高・ドル安が進まないと出てこない。つまり、アメリカの長期金利を安定させるためには、適度なドル安状況を作ってやり、日本から継続的な為替介入を引き出さないと、だめだということだ」。

「そんなにうまくいくかしら」と、首を傾げる「ダイス」。選挙参謀の「ローズ」は、「日本をしっかりグリップするのは君の仕事だぞ」と檄を飛ばす。これに対して日本の官僚組織を牛耳っているのは、財務次官出身の「マツオカ日銀副総裁」である。「ダイス」は「マツオカ」に電話をかけ、イラクに対する無償資金を十五億ドル拠出させる。「マツオカ」のモデルは、いうまでもなく当時の武藤敏郎日銀副総裁(現大和総研理事長)である。「マツオカ」は米国に一矢を報いるべく画策するのだが、ストーリーをこれ以上紹介するのは興ざめなのでやめておこう。

先に述べたように実際の円相場はドバイのG7会議をきっかけに一ドル=一一〇円を上回り、輸出企業や外債を買っていた投資家、そして就任直後の谷垣財務相が大慌てする一幕もあった。「より柔軟な為替相場が望ましい。こううたったG7会議の共同声明が、「円高・ドル安を容認した」と受け止められ、円相場の上昇を促したのだ。谷垣財務相としては、「今の立場を離れて読めば面白い」どころでは、なかったのだ。ドバイG7で外れた欧州の思惑ならば、ドルの急落を招いたドバイのG7会議の共同声明は、いかにして生まれたのか。日本の大量介入への批判が背景にあったのだろうか。日本と中国は同じ穴の猪とみられていたのだろうか。そうではなく、ときのブッシュ政権は中国と日本では扱いを峻別していた、とテーラー。回顧録の次の記述が興味深い。

中国に為替相場の柔軟性の向上を求めるため、〇四年九月二日にスノーが訪中した。その前の八月二十六日にホワイトハウスのシチュエーションルーム(情勢分析室)で開かれた対応会議。この部屋は国内外で発生した危機を監視し、状況を分析し、対策を講じるために必要な高度コミュニケーション装置を備えた会議室だが、ブッシュ大統領は休暇中のクロフォードからテレビ中継で参加した。ブッシュは「日本と中国は違う」と念を押した。日本が経験している経済的困難を指摘しつつ、「我々は日本が困難を克服する手助けをしようとしているのだぞ」と強調したのである。「為替相場の柔軟性の向上は中国の問題なのであって、日本ではない。日本には神経を払うように」。これがブッシュの指示だった。小泉・ブッシュの兄弟仁義は生きていた。

とすると、ドバイG7の混乱はどこから。テーラー回顧録によれば、理由は欧州の中央銀行総裁たちへの根回しの不足だった。テーラー、溝口、コッホウェザーの「G3」トリオは、中国の為替相場の柔軟性についてG7会議でどんな言い回しをするか、協議していた。案は次から次へ浮かんでは消えた。G7会議の朝になって、スノーもグリーンスパンも納得する案が固まったが、米国以外の国々への根回しの時間はなく、会議は出たとこ勝負だった。米国は欧州勢から足をすくわれてしまった。欧州中央銀行のウイリアムードイセンペルク総裁が余計な一言を差し挟んだのだ。「柔軟な為替相場(a tlexible exchange rate)」より「為替相場の一層の柔軟性」の方がいいんじゃないの?


2013年7月10日水曜日

総合的な国力を反映

基軸通貨は、経済力ばかりでなく政治、外交、軍事から文化に至る総合的な国力の反映である。ドルをめぐるひとつの視点は、政治と軍事の分野に潜んでいる。イラク、アフガニスタン情勢の混迷や原油、金価格の上昇など、冷戦後の「平和の配当」を謳歌した九〇年代とは打って変わって、〇一年九月十一日の米同時多発テロ以降は、三十年前の第四次中東戦争や石油ショック時を想起させる出来事が、目白押しとなっているからだ。「もはやこれ以上、米国が軍事力を行使せずにいるわけにはいかない」。一九七三年の第四次中東戦争で、アラブ諸国から原油の全面禁輸措置を受けたニクソン政権のシュレジンジヤー国防長官は、クローマー駐米英国大使にこう告げた。

英政府が〇四年一月に三十年ぶりに公開した石油ショック当時の機密文書が、米国の真意をえぐり出した。米国は油田を制圧するためにサウジアラビア、クウェート、アブダビヘの侵攻を計画、英国にも共同歩調を求めてくる、と英統合情報委員会(JIC)は分析していた。「道理をわきまえない国々の言いなりにはならない」。石油ショック時のニクソン政権の言い分は、三十年前の発言とは思えない。当時も今も日本の世論は、こうした国際政治の深淵から目を背けている。経常収支と財政収支という米国の「双子の赤字」がドル安の背景にあったのは確かだが、ジョージ・W・ブッシュ政権は「米国が『最後の買い手』の役割を務めているからこそ、世界経済は回っている」との立場を崩さなかった。こうしたマクロ経済の公式論にもまして、ドル安の本音として米企業の輸出支援を通じた大統領選挙対策が色濃くにじんでいた。

そもそも米国は、自国経済と政治日程に合わせて通貨、資源、軍事という三位一体のカードを使い分けてきた。公開された英政府の機密文書があぶり出したのも、石油メジャー、ペンタゴン(米国防総省)、ホワイトハウスという複合体の行動原理にほかならない。三位一体といえば、グリーンスパンFRB前議長も単なる金融オタクではなかった。天然ガスなど資源・エネルギー問題にも造詣が深く、ブッシュ政権のチェイニー副大統領は議長の分析に耳を傾けていた。中曽根康弘元首相はその著『自省録』(新潮社)のなかで、石油ショック時の田中角栄首相が資源外交で米国のトラの尾を踏んだとの認識を示す。「田中君は日本独自の石油開発に積極的な姿勢を表わし、アラブ諸国から日本が直に買い付けてくる『日の丸石油』にも色気を見せたのです。これが、アメリカの石油メジャーを刺激したことは間違いありません」

中曽根は、「このことが淵源となり、間接的に影響して『ロッキード事件』が惹き起こされたのではないかと想像するところがあります」とも記している。陰謀説ともとられかねない指摘だが、その次にこんな記述がくる。「ずいぶん経ってから、キシンジヤーとハワイで会った時に、彼は『ロッキード事件は間違いだった』と密かに私に語ったことがあります。キシンジヤーは事件の真相について、かなり知っていた様子です」中曽根大勲位も、通貨、資源、軍事の三位一体の深淵をのぞいていたのではあるまいか。ただし、ロッキード事件陰謀説には徳本栄一郎『角栄失脚 歪められた真実』(光文社)が反証を提示している。

ポールーオニール元米財務長官によれば、ブッシュ大統領は政権発足時からイラクのフセイン政権の打倒を目指し、閣議でも疑義を唱える声がなかった(ロンーサスキンド『忠誠の代償』日本経済新聞社)。イラク占領という形で、その望みはかなった。中東民主化政策の向こうには、原油資源の安定的な確保という目標が透けて見える。三十年の時差など存在しないかのようだ。日本でも、基軸通貨に憧れる議論は、後を絶たない。そうした論者が、基軸通貨のメリットとして、真っ先に挙げるのがシニョリッジ(seigniorage =通貨発行益)だ。紙切れである紙幣を通貨として流通させることで、政府は通貨価値と紙切れプラス印刷代の差額を稼げるというわけである。

2013年7月9日火曜日

一日三兆二千億ドルが動く外為市場

九八年の改正外為法で解禁された為替証拠金取引では、一定の証拠金を積むことで、その証拠金の十倍以上の為替取引を行うことが可能である。米ドルの場合、普通は一万ドルないし十万ドルの単位で取引される。一ドル=九〇円換算で九十万円ないし九百万円の取引となる。為替相場が思惑通り動けば、少ない証拠金で大もうけできる。反対に見通しが外れると証拠金が吹き飛んでしまうばかりでなく、巨額の借金を抱えることにもなりかねない。例えば、五十万円を証拠金として預け、その二十倍のドル買い注文を出すと、一千万円相当でドルの買い付けを行うことになる。仮に為替相場が一ドル=九〇円のときにドルを買い付け、円安になり一ドル=九五円でそのドルを売って取引を終了すると、九五手九〇分だけ元手が膨らみ千五十万円余りになった勘定となる。買い付け代金である千万円との差額五十万円余りがもうけとなる。当初の証拠金五十万円に対し実に一〇〇%以上の利益率だ。

しかし逆に一ドル=八五円まで円高が進むと、今後は五十万円余り損失が出て、証拠金として差し入れた五十万円など軽く吹き飛んでしまう。証拠金に対する負債の比率(レバレッジ比率)を高くした場合(このケースでは二十倍)に、為替証拠金取引はかくもリスクが大きいのだ。それでも為替証拠金取引の人気が衰えないのは、日本の低金利が際立っているからだ。低金利の円を売って、金利水準の高い外貨を買った場合、取引を継続するごとに内外金利差分かチャリンチャリンと投資家の懐に入る。この内外金利差に相当する部分は、「スワップーポイント」と呼ばれる。国内の低金利に泣く個人が、「スワップーポイント」を稼ごうと証拠金取引を積み上げているのだ。レバレッジ比率を高めて外貨を買っている投資家は円高になるとイチコロだが、「スワップポイント」目当ての投資家は円高になった場合に、むしろ外貨を買い増している。

とはいえ、取引の仕組みをよく知らずに、退職金や生活資金を為替証拠金取引につぎ込んで、自己破産する人も少なくない。〇五年七月の金融先物取引法の改正で、証拠金業者は登録制となり、金融庁の監督下に置かれるようになった。招かれざる勧誘(不招請勧誘)は禁止となり、広告でも手数料やリスクなどの表示が義務づけられ、契約締結前、取引成立、証拠金受領時にそれぞれ書面の交付が義務づけられるなど、顧客である投資家保護の仕組みは格段に充実した。人の欲には際限がない。低金利が続くなかで、「うまい話」の種に証拠金取引が利用されるリスクは残る。読者の皆さんもうまい話には細心の注意を払っていただきたい。

企業、機関投資家、そしてヘッジファンドなどの影響力が増している外為市場とは、どの位の規模と奥行きがあるのだろうか。「東京市場の終値は」、「ロンドン市場では」、「昨日のニューヨーク市場で円は」。ニュースを見ていると、東京、ロンドン、ニューヨークと為替相場が二十四時間切れ目なく取引されていることが分かる。円、ドル、ユーロなど主要通貨は、たとえ東京市場が夜中になっても、地球の向こう側で取引されている。通貨を商品とすれば、地球的な規模で一物一価が成立しているともいえるのだ。その全体像に迫る試みを、世界の中央銀行の集まりである国際決済銀行(BIS、本部・バーゼル)が三年に一度実施している。

公表されている直近の調査は二〇〇七年四月に日本銀行を含む世界五十四カ国・地域の中央銀行が参加して実施された。それによると、世界の一日平均の外為取引高は三兆二千百億ドルと、〇四年の前回調査比で七一%増えた。一ドル=九〇円換算で二百八十八兆円もの取引が行われている。〇九年の世界貿易額(輸出ベース)は十二兆ドルだったので、四日足らずの外為市場の取引で一年間の貿易額に匹敵する勘定だ。貿易などモノの流れを離れた、証券などマネーの取引や値ザヤ稼ぎを狙った為替取引の比重が高まっている証拠である。なかでも各国投資家の運用姿勢が増し、株式や債券の代替商品(オルタナティブ)として、為替取引が組み入れられる度合いが増している。投資家など金融系の顧客と銀行との間の為替取引が急拡大し、全体に占める割合は〇七年には四〇%と、〇四年の三三%から一段と拡大した。金融系の顧客との取引比率は九八年には二〇%だったから、十年足らずでシェアが倍増した勘定だ。

2013年7月8日月曜日

戦争という公共投資

結局、アメリカの経済を完全に立ち直らせたのは、第二次世界大戦という大規模な軍事支出であった。アメリカがこの大戦に費やした軍事支出は巨大で、四年間の軍事支出だけで、開戦前のGDPの三倍にも上った。政府購入は、一九四一年から急増し、一九四三年と四四年にはGDP全体の半分近くにも達する。つまり、政府の公共投資がGDPを二倍に押し上げるという事態になったのだ。公共投資の中身は、言うまでもなく戦争である。この大戦により、実質GDPは、終戦の年の一九四五年には、開戦前の一九四〇年の約二倍となった。平均成長率は、実質でI―I5%という顕著なものであった。

「戦争という公共投資」は、なぜうまく機能しなくなったのかその後、アメリカは戦争を繰り返すことになる。一九五〇年六月に始まり一九五三年七月まで続いた朝鮮戦争でも、軍事費は大きく増え、政府支出全体も、GDP比で15%台から20%を超える水準に一気に膨らんだ。一九五三年には23%台後半に達する。とはいえ、第二次世界大戦当時と比べれば、アメリカ経済に対するインパクトは、半分程度だった。一九四九年と一九五三年を比べて実質GDPの成長も、四年間で  一一‘%であった。年率で6・2%である。一九四六年から一九四九年の間の実質GDPの成長率が、三年間でわずか3%弱であることを考えると、朝鮮戦争という公共投資は、第二次世界大戦ほどではないにしても、アメリカの経済成長に大きく寄与したと言える。

このように、アメリカは軍事支出という巨大な公共投資によって、大きな経済成長を味わうという体験を二回もしたことになる。それは、意識的であれ無意識的であれ、経済が停滞すると戦争を求めるという体質を生んだ。その後、アメリカが関わることになる三つの大きな戦争、ヴェトナム戦争と湾岸戦争、そしてイラク戦争については、その思惑は当たったのだろうか。ヴェトナム戦争の期間で見ると、政府購入のGDPに占める割合は、本格介入前年の一九六四年に21・6%だったのが、ピーク時でも23・1%になったに過ぎず、後半には再び、21%台に戻っている。経済全体に対するインパクトは、GDP比で、1%程度の影響力しかもたなかったことがわかる。ヴェトナム戦争では、その前二つの戦争でみられたような、大きな経済刺激効果は得られなかったのである。

湾岸戦争は、アメリカ軍がイラクへの空爆を開始した一九九一年一月から四月初めの正式な停戦までの三か月の短期戦であった。一九九一年の軍事費はむしろ減少しており、政府支出のGDP比も前年より減少している。湾岸戦争のアメリカ経済への効果は、ほとんどなかったと言える。イラク戦争は、二〇〇三年三月にアメリカ軍を主力とする多国籍軍がイラクに対して攻撃を開始して始まった。イラク戦争中に、政府購入のGDPに占める割合は、19%弱であり、同時多発テロ以前の二〇〇〇年の水準と比べると、一一〇〇三年で、1・5%の増加を認めている。二〇〇三年の実質GDPの伸びは、前年比で2・5%である。二〇〇〇年から二〇〇二年までの実質GDPの平均成長率は、1・4%であるから、―%程度、GDPを押し上げたのかもしれない。

このように見てくると、なぜ、第二次世界大戦や朝鮮戦争の時には、大幅なGDPの増加が起きたのに、ヴェトナム戦争以降、巨額の軍事費をつぎ込みながら、その効果が前の二つの戦争ほど大きくないのかは明白である。経済自体の規模が、非常に大きくなっているので、一見巨額に見える軍事費でさえも、かつてほどは、GDPを押し上げるインパクトが乏しかったということである。財政赤字だけを増やすことになったのである。例は悪いが、アメリカの「戦争という公共投資」が示していることは、公共投資によって経済成長を取り戻そうとした場合、中途半端な規模では、ほとんど効果が期待できないばかりか、財政赤字を悪化させるだけで終わるということである。経済を別物に変えるような変化を期待するのなら、思い切った規模の投資をしなければ、すでに巨大になった経済を動かす力にはならないのである。それと同時に、後の章でも見ていくように、投資の中身が非常に問われる時代になっているのである。



2013年7月6日土曜日

日本人はこんなにも悲惨な暮らしをしている

「経済の実態を示す数字より悪いのは、国を覆っている悲観論と無力感だった。日本の国民は、政府の景気回復に対する信頼を失っていた。これは悲劇だ。日本のような偉大な経済大国が十年規模の不況に陥る必要はないし、そのような状態に甘んじるべきでもない」と。そして、日本がかくも長く、経済の停滞にあえいでいる状況に対して、「そうなるべき理由も多くなかったはずだ」と、付け加えている(『世界大不況からの脱出』三上義一訳)。大した必然性もなく、日本国民は、半ば人為的に起きたに過ぎない、克服可能な事態を、あたかも不可抗力で生じた永続的な現象のように錯覚して、自ら貧しくなる道を選び、二等国に成り下がることを受け入れ、諦め、下を向いて暮らしているうちに、多くの国民の命までもが奪われてきたのだ。

この状況にストップをかけるには、過度に悲観的な認知のワナに陥っていることを自覚し、自己否定の塊になったり自信喪失に陥ったりする必要はなんらないということを知ることである。政策ミスが政策ミスを呼ぶという悪循環が起きてしまったのも、感情論に走り、この国に何が必要なのかという認識を冷静に共有できなかったことに起因している。その間に時間を空費し、有効な手立てが講じられなかったために、ずるずると悪い状態が続いてしまい、どんどん貧しくなってしまったのだ。そうしたワナの危険を認識し、そこから脱却して、もっと前向きで、将来につながる政策運営を行っていきさえすれば、状況はがらりと好転し得るのである。

なぜ、日本人はこんなにも悲惨な暮らしをしているのか世界一の対外純資産をもつ国の国民が、大借金を抱えた国の国民よりも、どうしてこんな貧しく、悲惨な暮らしをしているのだろうか。世界一の技術力をもつ分野も、まだ多く有しているというのに、なぜ、さほど技術力もない国の後塵を拝しているのだろうか。一人当たりのGDPでみても、かつて世界一になったこともあるが、このところ順位を下げ続けている。軍事的覇権をもつアメリカは別格としても、たとえば、イタリアやスペインと、一人当たりのGDPで大差がないというのは、何とも解せないではないか。生活満足度という点では、その傾向はもっと顕著である。OECD(経済協力開発機構)のデータによれば、日本は先進国の中では飛び抜けて低く、開発途上国並みである。オランダでは九割を超える人が、十段階評価で七以上の満足度を示しているが、日本では五割程度にとどまっている。

オランダやフィンランドなどの西欧先進国では、週三十五時間勤務で、残業はなし、年間四週間の休暇をとることが義務付けられている。土日と連続してとれば、実際上六週間の休みが取れるのである。少なく働き、多くの時間を遊び、しかも、より多く稼いでいるのである。片や日本では、有休を使うのも同僚に気を配り、長い休暇を連続して取ろうものなら、白い目で見られ、勤労意欲を疑われかねない。一日二時間程度のサービス残業が当たり前で、管理職は、深夜まで残業をしても、残業代ももらえない。労働単価は果てしなく安くなる。休日出勤も珍しくない。ところが、そんなふうにゆったりと仕事をしているオランダの一人当たりのGDP(購買力平価ベース)は、スイスとほぼ同じ約四万ドルで、日本より20%以上も高く、石油産出国のクウェートよりも多いのだ。

オランダに、技術力の面でも、勤勉さの面でも、日本が劣るとは思えない。だが、現実には、日本の方が、精神的にも経済的にも、貧しい生活を強いられている。オランダやスイスといった小国とでは比較にならないというのであれば、フランスやドイツやイギリスを持ち出してもいいだろう。農業国で、経済的にはかなり苦戦をしているフランスよりも、東西統一により経済的にはお荷物の旧東ドイツを抱えるドイツや、斜陽国となって久しいイギリスよりも、一人当たりのGDPは下回っているのだ。なぜこうしたことが起きてしまうのだろうか。