2014年7月12日土曜日

「革命的」の核心

このようにみてくると、ケインズ以前一九三〇年代までの社会は、これまで何度か描写した状況と、ほぽ等しかったとみていい。すなわちそこでは、まず、人びとはおおむね貧しく、日々の生活に追われて、心中に不平不満を抱く余裕すらなかったし、しかも、たまたま心中に不平不満を抱いても、ひとたびそれを表にあらわせば、たちまち自分自身の不利益としてはねかえってくる危険(たとえば、くびになり路頭に迷う危険)があった。つまり「ヒラの人」たちは、失業と飢えの恐怖から、少なくともほどほどには働かざるをえなかった。

しかし、一九三〇年代が到来し、失業率が二十~三十パーセントにも達するにいたれば、話はまったく別だろう。ほどほど真面目には働こうにも、働く場所そのものがない人びとにとって、もはや失うべきものは何もない。日々の生活に追われる機会さえ奪われた彼らは、飢えの恐怖にさらされた不平不満を心おきなく表現するほかに、そもそもなすべきことがないだろう。かくて資本主義は、空前の危機に直面する。この危機を救おうとしたのが、ケインズにほかならない。彼は、もし金融緩和を維持するとともに、積極的な財政政策を行なうならば、この危機は避けられると考えた。この考え方は、たしかに「ケインズ革命」の名に値したのである。

経済学に親しみの薄い読者のために、ケインズ経済学のエッセンスを復習しよう。まず財政をみよう。積極的な財政政策とは、財政支出を拡大するとともに、減税を行なうことである。もともと不況時には所得は伸び悩むから、がりに税制をそのままにしておくと、税収は伸び悩まざるをえない。もしケインズ以前の経済学者が考えていたように、財政はつねに均衡しなければならないとすると、不況時の政府は、この自然減収を埋め合わせるに足る増税を行なうか、さもなければ自然減収に見合うだけ財政支出をカットするか、どちらかの選択に迫られる。ところが、増税は民間需要を抑えるし、財政支出のカットは政府需要を抑える。したがって、政府が均衡財政のルールにしばられるかぎり、不況は改善されないばかりか、むしろよりいっそう深刻化するおそれがある。

そこでケインズは、むしろ不況時にこそ財政支出を拡大し、かつ減税を行なうことが必要だと考えた。がりに政府が何もしなくとも、不況時には財政は赤字になりがちだから、政府がケインズの指示どおりに動けば、財政赤字はさらに大きいだろう。だが、それによって景気が回復に向かい、失業が減って、農民が娘を売らなくともすむプラスとくらべれば、赤字財政のマイナスは取るに足りないほどわずかである。このような思想転換は、たしかに「革命」的であった。