2014年6月27日金曜日

亡き妻への手紙

慶子夫人の発病から、江藤さん自身の第一回目の退院までのことをつぶさに書いたのが「妻と私」である。世間では亡き妻への鎮魂記などと言っているが、鎮魂記でもあろうし、亡き妻への手紙でもあろう。実は私は、「新潮」から、その「妻と私」の書評を頼まれていて、江藤さんの本だもの、何か書いてみます、と同誌の宮辺さんに答えたものの、こういった本についてはどういうことを書けばいいのか、江藤さんの悲しみを想像して、胸つぶれる思いになるばかりであった。こういう本には解説はいらない、評もいらない、書評と言って、何を評するというのだ。ただ、江藤さんの悲しみを、自分流に想像して、ひそかに、つらい思いをしていればいいのだ。思いがこんなふうになると、何も書けないが、これは、私には、なんともつらい、悲しい本である。

どのへんがつらいか、というようなものではない。全部、各行、つらい。もちろん、あと三ヵ月から五ヵ月ぐらいの末期癌だと宣告されたときの江藤さん。それを告知しないことにきめて、家庭で、病室で、対い合っているときの江藤さんの心の襟。仕事で夫人の側を離れる間も時ばたつ。夫人と一緒にいる時間は、刻々に減る。絶えることなく、時間が過ぎて行く。悲しくない時間は一刻もなかったであろう。その刻々の江藤さんの心の襟を想像すると、想像が及ばなくても、胸がつぶれる。

慶子夫人もまた、亡くなるまでに、多くのことを感じ、思ったはずである。その心の襟は慶子夫人でなければわからないが、夫人の病状がかなり悪化して痛み止めのモルヒネの投与を受けるようになった十月半ばの午後、「もうなにもかも、みんな終わってしまった」と、誰に言うともなく夫人が言い、それを返す言葉もなく聞きながら、夫人の両手を握り締めている江藤さんの思い。江藤夫妻が、こんな寂しい時間を持ったのだと思うと、私はたまらないよ。

前記のように江藤さんは、夫人の葬儀の当日に、急性前立腺炎と感染症で入院して危篤になるが、死線を越えて、一度退院する。だが今度は脳梗塞で倒れ、またも入院するのである。江藤さんの脳梗塞は、軽症だと伝えられたが、夫人を失った後、続いて襲って来た病気は、江藤さんから生きる力を奪ってしまったであろう。脳梗塞が、それでなくても、みんな終わってしまった。と思いがちな江藤さんの気持ちを最後に決めたのでしょうね。もうすぐ私も、みんな終わるでしょうが、江藤さん、長い間、いろいろとありがとうございました。