2016年4月19日火曜日

「創造階級」のライフスタイル

実際、若者たちの消費生活には、ゆるやかな異変が生じつつある。顕示的な消費生活のなかで「自分探し」をする若者は、「漠然とした不安」を抱えて生きているのであって、どんなに気に入った商品によって自分を演出しても、「別の商品のほうがよかったかもしれない」という「偶有性の不安」から逃れることはできない。消費社会のなかで「本当の自分」を探し求める若者は、しかしやがて、三つの行動パタンに分岐していくであろう。

第一のパタンは、より多くの商品を買い揃えることによって、消費財による自己表現を増大させる方向である。しかしこの方法は、かえって徒労に終わるのみで、ますます「本当の自分がみつからない」という不安を抱えてしまう。第二のパタンは、「本当の自分探し」をするよりも、高級ブランド商品を買うことで、一時の流行によってすたることのない価値を身につける方向である。ところが三浦展の分析では、最近では下流社会の人々のほうが、ブランドにこだわっているという。これに対して第三のパタンは、「自己開発志向」の消費である。

たとえば、エステや整形、フィットネスやヨーガによって、外見を改造する。海外ボランティア・ツアーやインターネット・コミュニケーションのオフ会などで、他者と交流する。あるいは、ほとんど消費せずに、ブログによる情報発信によって自己の内面世界を深めていく。こうした自己開発志向の生活は、まさに「創造階級」のライフスタイルといえるだろう。創造階級は、お金よりも自由な時間を大切にする。お金があれば、「ブランド男/ブランド女」になることができるだろう。しかし膨大な時間がなければ、「創造階級」のライフスタイルを身につけることができない。

2016年3月18日金曜日

司法制度改革の柱

日本の法や裁判をめぐる構造的な問題にメスを入れるべく、一九九九年に司法制度改革審議会(以下、改革審)が設置され、そこで国民の司法参加についても検討することになりました。

「国民の司法参加」とは、アメリカの法廷ドラマや映画などで見かけるように、訴訟手続に十二名の一般市民(陪審員)が裁判の判断権者として参加する「陪審制」が典型的ですが、いずれにしても、日本でもそれに類するようなものが想定されています。

そんな「国民の司法参加」が、今まで述べてきたような、日本の裁判手続におけるいろいろな問題に対する解決になるのか、疑問に思う方も多いのではないかと思います。

周知のとおり、いわゆる規制緩和政策を推進する際には、事後の救済措置としての司法制度を整備することが必要だと説明されており、改革審が設置されたのには、そのような背景もありました。そして、今まで論じてきた問題を解決することこそが、司法制度改革の眼目として位置付けられるべきでした。

この観点からしますと、司法制度改革のメインは、民事裁判の領域であるということになるはずです。ところが、結論からいえば、「国民の司法参加」について改革審が打ち出した最終意見は、さしあたり刑事訴訟(しかも重大事件)への参加であって、規制緩和政策とか、民事裁判の改革などといった問題とはほとんど無関係です。