それによると、第一は、八〇年代に行ったコンピューターと情報技術への巨大投資が実を結んだこと(一人当たりで世界平均の八倍)、第二に、金融の多様化とブームである。後者は規制撤廃によって、高収益性を挙げるような好パフォーマンスの新金融商品が続々と登場することによって、中産階層の貯蓄投資先の選択肢を広げた。これら二つの要因に加えて、「透明な企業情報」の存在をザ″カーマンは強調する。かれがアメリカの金融システムをきわめ工局く評価するのは、そのディスクロージャーの故である。さしずめ、キーワードは情報と金融であり、その二つのファクターを結びつけているのが透明性ということになる。
九〇年代、アメリカの株価が上昇し続けたのは、アメリカ企業、とりわけ情報通信産業や金融機関、あるいは自動車産業も消費者小売りも、さらにはミューチュアルーファンドやへでジファンドも、増収増益を謳歌する企業群が産業分野の違いをこえて出現したからである。そこで、世界企業番付からアメリカ企業の位置を確認しておきたい。代表的な企業番付である『フォーチュン』(98年8月3日)恒例の「世界大企業番付」では、九七年の売上高番付で、五〇〇社中アメリカ企業は一七五社を占めてトップで、二一社の日本企業を引き離している(ドイツ四二社、フランス三九社)。上位一〇社(売上局)では、五社が日本企業であり、米企業の四社より多いが、上位一〇傑に入る日本企業のすべてが総合商社(三位三井物産、四位三菱商事、六位伊藤忠、九位丸紅、一〇位住友商事)である。
ちなみに、この統計では、金融業も同列に分類されているが、銀行業の「売上高」とは金利収入と非金利収入(経費を差し引く前)を合計したものである。ただし、何を尺度として測るかによって企業番付は大きく異なる。利益額で見てみよう。上位はアメリカ企業の圧倒的独占である。上位八社は三位のロイヤルーダッチーシェルを除くと、すべてアメリカ企業で、一位エクソン、二位GE、四位インテル、五位フォードーモーター、六位GM、七位フィリップモリス、八位IBMとお馴染みの名前が続く。日本企業トップは、二一位トヨタ、五六位NTT、六〇位ホンダ、六二位日本生命、九五位第一生命。上位一〇〇社に入るのはこのわずか五社にすぎない(次は東京電力一四二位、明治生命一五二位)。
さらに、収益性では格差はもっと広がる。純益ノ収入比では、一位マイクロソフト、三位インテル、、純益/資産比では、二位インテル、三位マイクロソフト、四位デルーコンピューターと続く。ところが、収益性で上位五〇傑に日本企業は入っていない。収益性の上位に、コンピューター・ソフト会社が多いのは時代的特徴を反映したものだろう。興味深いのは、インテルの売上高番付が五位にすぎず、マイクロソフトに至っては四〇〇位に後退することである。ところが、純益/収入比となると、一位のマイクロソフトは三〇・四%、三位のインテルは二七・七%と高騰する。
それらと対照的なのが。日本の商社で、売上高では上位に並ぶ総合商社も、純益ではさっぱりである。いずれの総合商社も純益では二〇〇位以下に転落する(三井物産三三六位、三菱商事二八七位、伊藤忠四八四位、丸紅三八八位、住友商事三六〇位)。企業業績は売上高や純益だけではなく、当該企業が市場でどのように評価されたかが重要な指標になりつつある。そこで『ビジネスーウィーク』(98年7月13日)は、企業の株式時価総額番付を発表している。それによると、株式市場の好不調を反映して、日米の企業に大きな差が生じている(以下の株価のデータは、すべて九八年五月二九日の時点による)。
2015年7月20日月曜日
富の源泉は労働生産性
今回、『国富論』を全訳(山岡訳)で初めて読んで、学生のころ中央公論版の抄訳で読んだときと違う意味で、おもしろい本だと感じました。それは今、日本が直面している問題が、この本に書かれている近代的個人と古い社会の闘いと似た部分があるからです。なぜイギリスで産業革命が起こったのかというのは経済史上の大問題で、いろいろな説があります。有名なのはマルクスの本源的蓄積とかウェーバーのプロテスタンティズムですが、今の実証的な経済史では問題にならない。では、何か西洋近代の成長の原因だったのか。いまだに決定的なことはわからないのですが、その一つとして考えられるのが「有用な知識」だと経済史家のジョエルーモキアは最近の本で書いています。
知識というのは、伝統的に役に立ってはいけないと思われていました。典型的なのが神学です。産業革命の一つの原因は、それまで職人の経験的な知識だった技術が、科学という体系的な学問と結びつくことによって、飛躍的に効率が上がったことにあります。そのとき学問が特殊な聖職者のものではなく、世俗的な「有用な知識」として普通の企業家の使えるものになることが重要でした。それが啓蒙思想の果たした役割です。啓蒙思想の中心的な古典で、原題はそのまま訳すと『諸国の富の性質と原因についての研究』です。「諸国民の富」と訳す場合もありますが、内容的には、どの国がどういう政策をとると豊かになるかという「比較政策論」という感じです。
イギリスがあり、フランスがあり、オランダがあり、いろんな国がいろんな政策をとっているが、イギリスの自由主義経済がいちばんいいんだという話なので、Nationsは「諸国」と訳したほうがいいと思います。最近の言葉でいうと、「成長戦略」です。スミスが何を言おうとしているかというと、富の源泉は労働だというわけです。単なる労働は昔からあるわけですが、労働者がいかに能率よく労働するか最近の言葉でいえば労働生産性が大切なんだと。これは現代の日本でも大事なことを言っていると思います。これから日本の労働人口がどんどん減っていくわけで、労働人口が減っているときに富を維持しようと思ったら、労働生産性を上げるしかない。そういう意味で『国富論』を労働生産性という観点から読み直してみることも意味があると思います。
では、なぜ労働生産性が上がったのか。近代以前の社会と近代社会を比べて何がいちばんの大きな違いかというときに、スミスが言ったのは「分業」です。ピンを一人で作ったら一日二〇個しか作れないが、一〇人で一八の工程で作ったら四万八〇〇〇個作れたという有名な寓話です。昔の社会では分業がなくて、すべての集落が自給自足で、いろいろなものを一人でつくっていた。そうすると農業の得意な人が武器をつくってもいいものができない。それより農業に専念して、余った農産物を武器と交換したほうがいい。この場合の分業は、単に手分けしてやるということではなくて、できたものを市場で交換することと一体になっているわけです。
ただ分業の話は前置きで、『国富論』全体を読むと圧倒的に重点が置かれているのは、重商主義の批判と自由貿易の擁護です。学問的な書き方ですが、ある種の政治的プロパガンダです。イギリスがいちばん進んでいる、遅れている他の国は農業を保護するとか関税をかけるとかやっているから遅れるのだ、という話です。『国富論』は一般的に経済を語っているのではなく、重商主義を批判する宣伝文書なのです。重商主義というと昔の話だと思う人が多いでしょうが、いつの時代にも出てくるのです。この前、中野剛志という経済産業省から京都大学に出向している若い官僚が、TPP(環太平洋パートナーシップ)を批判しているのを見ました。その理由は「TPPの参加国はアメリカ以外は小国ばかりで、実態はアメリカとの自由貿易協定だ」という。
知識というのは、伝統的に役に立ってはいけないと思われていました。典型的なのが神学です。産業革命の一つの原因は、それまで職人の経験的な知識だった技術が、科学という体系的な学問と結びつくことによって、飛躍的に効率が上がったことにあります。そのとき学問が特殊な聖職者のものではなく、世俗的な「有用な知識」として普通の企業家の使えるものになることが重要でした。それが啓蒙思想の果たした役割です。啓蒙思想の中心的な古典で、原題はそのまま訳すと『諸国の富の性質と原因についての研究』です。「諸国民の富」と訳す場合もありますが、内容的には、どの国がどういう政策をとると豊かになるかという「比較政策論」という感じです。
イギリスがあり、フランスがあり、オランダがあり、いろんな国がいろんな政策をとっているが、イギリスの自由主義経済がいちばんいいんだという話なので、Nationsは「諸国」と訳したほうがいいと思います。最近の言葉でいうと、「成長戦略」です。スミスが何を言おうとしているかというと、富の源泉は労働だというわけです。単なる労働は昔からあるわけですが、労働者がいかに能率よく労働するか最近の言葉でいえば労働生産性が大切なんだと。これは現代の日本でも大事なことを言っていると思います。これから日本の労働人口がどんどん減っていくわけで、労働人口が減っているときに富を維持しようと思ったら、労働生産性を上げるしかない。そういう意味で『国富論』を労働生産性という観点から読み直してみることも意味があると思います。
では、なぜ労働生産性が上がったのか。近代以前の社会と近代社会を比べて何がいちばんの大きな違いかというときに、スミスが言ったのは「分業」です。ピンを一人で作ったら一日二〇個しか作れないが、一〇人で一八の工程で作ったら四万八〇〇〇個作れたという有名な寓話です。昔の社会では分業がなくて、すべての集落が自給自足で、いろいろなものを一人でつくっていた。そうすると農業の得意な人が武器をつくってもいいものができない。それより農業に専念して、余った農産物を武器と交換したほうがいい。この場合の分業は、単に手分けしてやるということではなくて、できたものを市場で交換することと一体になっているわけです。
ただ分業の話は前置きで、『国富論』全体を読むと圧倒的に重点が置かれているのは、重商主義の批判と自由貿易の擁護です。学問的な書き方ですが、ある種の政治的プロパガンダです。イギリスがいちばん進んでいる、遅れている他の国は農業を保護するとか関税をかけるとかやっているから遅れるのだ、という話です。『国富論』は一般的に経済を語っているのではなく、重商主義を批判する宣伝文書なのです。重商主義というと昔の話だと思う人が多いでしょうが、いつの時代にも出てくるのです。この前、中野剛志という経済産業省から京都大学に出向している若い官僚が、TPP(環太平洋パートナーシップ)を批判しているのを見ました。その理由は「TPPの参加国はアメリカ以外は小国ばかりで、実態はアメリカとの自由貿易協定だ」という。
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