今回、『国富論』を全訳(山岡訳)で初めて読んで、学生のころ中央公論版の抄訳で読んだときと違う意味で、おもしろい本だと感じました。それは今、日本が直面している問題が、この本に書かれている近代的個人と古い社会の闘いと似た部分があるからです。なぜイギリスで産業革命が起こったのかというのは経済史上の大問題で、いろいろな説があります。有名なのはマルクスの本源的蓄積とかウェーバーのプロテスタンティズムですが、今の実証的な経済史では問題にならない。では、何か西洋近代の成長の原因だったのか。いまだに決定的なことはわからないのですが、その一つとして考えられるのが「有用な知識」だと経済史家のジョエルーモキアは最近の本で書いています。
知識というのは、伝統的に役に立ってはいけないと思われていました。典型的なのが神学です。産業革命の一つの原因は、それまで職人の経験的な知識だった技術が、科学という体系的な学問と結びつくことによって、飛躍的に効率が上がったことにあります。そのとき学問が特殊な聖職者のものではなく、世俗的な「有用な知識」として普通の企業家の使えるものになることが重要でした。それが啓蒙思想の果たした役割です。啓蒙思想の中心的な古典で、原題はそのまま訳すと『諸国の富の性質と原因についての研究』です。「諸国民の富」と訳す場合もありますが、内容的には、どの国がどういう政策をとると豊かになるかという「比較政策論」という感じです。
イギリスがあり、フランスがあり、オランダがあり、いろんな国がいろんな政策をとっているが、イギリスの自由主義経済がいちばんいいんだという話なので、Nationsは「諸国」と訳したほうがいいと思います。最近の言葉でいうと、「成長戦略」です。スミスが何を言おうとしているかというと、富の源泉は労働だというわけです。単なる労働は昔からあるわけですが、労働者がいかに能率よく労働するか最近の言葉でいえば労働生産性が大切なんだと。これは現代の日本でも大事なことを言っていると思います。これから日本の労働人口がどんどん減っていくわけで、労働人口が減っているときに富を維持しようと思ったら、労働生産性を上げるしかない。そういう意味で『国富論』を労働生産性という観点から読み直してみることも意味があると思います。
では、なぜ労働生産性が上がったのか。近代以前の社会と近代社会を比べて何がいちばんの大きな違いかというときに、スミスが言ったのは「分業」です。ピンを一人で作ったら一日二〇個しか作れないが、一〇人で一八の工程で作ったら四万八〇〇〇個作れたという有名な寓話です。昔の社会では分業がなくて、すべての集落が自給自足で、いろいろなものを一人でつくっていた。そうすると農業の得意な人が武器をつくってもいいものができない。それより農業に専念して、余った農産物を武器と交換したほうがいい。この場合の分業は、単に手分けしてやるということではなくて、できたものを市場で交換することと一体になっているわけです。
ただ分業の話は前置きで、『国富論』全体を読むと圧倒的に重点が置かれているのは、重商主義の批判と自由貿易の擁護です。学問的な書き方ですが、ある種の政治的プロパガンダです。イギリスがいちばん進んでいる、遅れている他の国は農業を保護するとか関税をかけるとかやっているから遅れるのだ、という話です。『国富論』は一般的に経済を語っているのではなく、重商主義を批判する宣伝文書なのです。重商主義というと昔の話だと思う人が多いでしょうが、いつの時代にも出てくるのです。この前、中野剛志という経済産業省から京都大学に出向している若い官僚が、TPP(環太平洋パートナーシップ)を批判しているのを見ました。その理由は「TPPの参加国はアメリカ以外は小国ばかりで、実態はアメリカとの自由貿易協定だ」という。
2015年7月20日月曜日
2015年6月18日木曜日
人的インフラストラクチャーの不足
輸送手段にしても、市場経済では中央集中型の鉄道輸送でなく、地方分散型のトラック輸送が主役だが、いまの東欧諸国には道路もトラックもない褐炭を使った火力発電所や西側の安全基準に遠く及ばない原子力発電所など東欧諸国の環境破壊の現状を見ると、生産を拡大するために新しい発電施設を作るより以前に、まず現存施設の安全対策に多額の投資をする必要がある。ドイツではすでに一一基ある東ドイツの原子力発電所のうち六基を閉鎖する決定が下された。だか、代わりの発電所を作る金はどこから出るのだろ
ソ連のように一種類の製品につき一ヵ所しか生産施設を持たない国が工場を非国有化すれば、独占企業がつぎつぎに誕生して価格をつり上げるのは目に見えている。価格競争のある市場を作るためには新しく工場を建設しなければならないが、そんな金はない。たとえ金があったとしても、新しい工場は一晩や二晩で作れるものではない。
農民たちも、資本主義農業への転換に二の足を踏んでいる。どこでトラクターを買えばいいのか、どこでガソリンを買えばいいのか、どこで種を買えばいいのか、見当もつかないのだ。作物が収穫できたとして、こんどはどうやって運べばいいのか、どこへ売りに行けばよいのか。農業器具を売る側も、あるいは農作物を買い取る側も、農民のほうから商売を持ちかけてくるまで動かない。みんな相手が最初の一歩を踏みだすのを待っている。最初に事を起こせば、かなりのコストがかかるし、まわりが同調しない危険性もある。結局、だれも最初に商売を始めようとしないのだ。
東欧の労働力は一応の教育水準に達しているものの、市場経済に適応するにはまだ足りないものがある。第一に勤労意欲が。旧共産圏諸国を訪れたことのある人なら誰でも気づくことだが、工場労働者の勤労意欲は非常に低い。ソ連ではやっていたジョークか理由をうまく言い当てている。「労働者は働くふりをするのさ。政府が給料を払うふりをするから」。働いても金にならないなら、誰も働く気にはなるまい。
これからは働けば金になるかもしれないか、生まれてこのかた共産主義経済の下でやってきた労働者たちには、一生懸命に働かない生き方が骨の髄まで染みこんでしまっている。ちゃんとしたインセンティヴを与えられれば、彼らもやる気を起こすだろうか?一所懸命働けばいい暮らしができるということになれば、みんな一所懸命働くようになるだろうか?確たる答えはどこにもないが、私はたぶんそうなるだろうと考えている。資本主義諸国から流人してくる商品を手に入れたいという意欲にひっぱられて働くようになると思うからだ。だが、私の予想ははずれるかもしれない。
ソ連のように一種類の製品につき一ヵ所しか生産施設を持たない国が工場を非国有化すれば、独占企業がつぎつぎに誕生して価格をつり上げるのは目に見えている。価格競争のある市場を作るためには新しく工場を建設しなければならないが、そんな金はない。たとえ金があったとしても、新しい工場は一晩や二晩で作れるものではない。
農民たちも、資本主義農業への転換に二の足を踏んでいる。どこでトラクターを買えばいいのか、どこでガソリンを買えばいいのか、どこで種を買えばいいのか、見当もつかないのだ。作物が収穫できたとして、こんどはどうやって運べばいいのか、どこへ売りに行けばよいのか。農業器具を売る側も、あるいは農作物を買い取る側も、農民のほうから商売を持ちかけてくるまで動かない。みんな相手が最初の一歩を踏みだすのを待っている。最初に事を起こせば、かなりのコストがかかるし、まわりが同調しない危険性もある。結局、だれも最初に商売を始めようとしないのだ。
東欧の労働力は一応の教育水準に達しているものの、市場経済に適応するにはまだ足りないものがある。第一に勤労意欲が。旧共産圏諸国を訪れたことのある人なら誰でも気づくことだが、工場労働者の勤労意欲は非常に低い。ソ連ではやっていたジョークか理由をうまく言い当てている。「労働者は働くふりをするのさ。政府が給料を払うふりをするから」。働いても金にならないなら、誰も働く気にはなるまい。
これからは働けば金になるかもしれないか、生まれてこのかた共産主義経済の下でやってきた労働者たちには、一生懸命に働かない生き方が骨の髄まで染みこんでしまっている。ちゃんとしたインセンティヴを与えられれば、彼らもやる気を起こすだろうか?一所懸命働けばいい暮らしができるということになれば、みんな一所懸命働くようになるだろうか?確たる答えはどこにもないが、私はたぶんそうなるだろうと考えている。資本主義諸国から流人してくる商品を手に入れたいという意欲にひっぱられて働くようになると思うからだ。だが、私の予想ははずれるかもしれない。
登録:
投稿 (Atom)