日本でのアメリカの軍用機の組み立てに似ていて、その目的は経済収益をあげるにとどまらず、組み立て生産システムそのものを習得し、一部部品は中国でも生産して、中国の設計・生産技術を高めることにもある。郵小平は天安門動乱以後の中国経済のこのような変化を見て、一九九二年の一月から二月にかけて、経済特区を視察し、この地域の経済発展は中国の将来の一つのパターンとして重要な意味を持つと判断したのであろう。それに応えて、ことにハイテク製品の製造企業には、その製品を全量海外輸出に向けることを条件として、経済特区での優遇措置をさらに拡大する法律が作成された。海外資本の中国への直接投資額は、一九九一年の二八九億ドルから九二年の四三七億ドルヘ、さらに九三年には六七〇億ドルヘと急上昇を遂げたのであった。
趙紫陽も沿海各地を視察した後、「わが国沿海地域の経済は、有利な発展のチャンスを迎えている。先進諸国・地域は、たえず産業構造を調整し、労働集約産業は労賃の低いところへ移りつつある。この移動において、わが国の沿海地域はおおいに吸引力を持っているはずだ」と語ったのである。部小平も趙紫陽も、日本を追ったアジアNIESの経済発展のパターンを、中国沿岸地域に持ち込もうとしたのであるが、彼らはむろん、それが中国経済の発展のパターンの一部に過ぎないことを承知していたであろう。中国と他の東アジア諸国との経済と技術との違いは、中国が、アメリカやロシアやヨーロとハ諸国と宇宙ビジネスで競り合うほどの、高度の技術力を持っている一方、全国農村に展開する郷鎮企業が比較的素朴な技術できわめて大衆的な工業製品を製造し、それが中国の日用品やセメント、石炭などの国内需要を満たしているばかりでなく、輸出貿易においてもきわめて重要な役割をはたしていることである。
2015年3月19日木曜日
2015年2月19日木曜日
日本は高コストか
ドルの下落を媒介として、債務国・アメリカでは経済の好循環が続いた。一方、債権国・日本が90年代に入って経験した不況は、戦後未曾有のものであった。
この不況の原因は、じつは複雑である。金融機関の不良債権問題のみが声高に叫ばれたのは、その解決が急がれたという意味では正論であろうが、そればかりが強調されては不況の全体像を捉え損ねることにもなりかねない。
不良債権問題それ自体が、プラザ合意後の対米協調金利政策の結果であることはこれまでに見てきたとおりだが、ここで強調しなければならないのは、アメリカの円高誘導策が平成不況に及ぼした直接的な影響についてである。
まず、これをモノ作り部門について見てみよう。バブル崩壊のもとでの円高の進行は、アメリカの好況のちょうど裏返しの影響を日本経済に与えたといえる。その中心的経路は、製造業との関連では次のように整理される。
「円高→輸出減・輸入増→鉱工業生産の低下→労働生産性の停滞→単位労働コストの底上げ」さらに実効レートによる円高の程度がドル安のそれより大きかったことが、その影響をはるかに強烈なものとした。先にアメリカのドルについて見た為替の実効レートは、円の場合、95年には90年に対し約4割も上昇している。これは、主要貿易相手国としてアメリカの占める割合がきわめて高く、また、90年以降は、ドル安というより円の独歩高が続いたためであろう。
これらの指標のうち単位労働コストについて見てみよう。単位労働コストは、91~95年の間、自国通貨(円)ベースの上昇率(ベース・アップなどによる通常の上昇率)は6~7%でアメリカとあまり差がないのに、これを実効為替レートではじくと5年間の上昇はきわめて大幅である。
このように単位労働コストが対外的には大幅に上昇したことが、「産業空洞化」を過度に進めるとともに、円高による「輸入価格の低下→デフレ圧力」との間で大きな矛盾となった。輸入価格の低下によるデフレ圧力がある一方で、海外の産業との価格競争力を左右する実効為替レートでの労働コストが上昇した。これでは製造業部門は立ち行かない。労働コストの安定がインフレの芽を摘むという好循環を呼んだアメリカの場合とは対照的である。
この不況の原因は、じつは複雑である。金融機関の不良債権問題のみが声高に叫ばれたのは、その解決が急がれたという意味では正論であろうが、そればかりが強調されては不況の全体像を捉え損ねることにもなりかねない。
不良債権問題それ自体が、プラザ合意後の対米協調金利政策の結果であることはこれまでに見てきたとおりだが、ここで強調しなければならないのは、アメリカの円高誘導策が平成不況に及ぼした直接的な影響についてである。
まず、これをモノ作り部門について見てみよう。バブル崩壊のもとでの円高の進行は、アメリカの好況のちょうど裏返しの影響を日本経済に与えたといえる。その中心的経路は、製造業との関連では次のように整理される。
「円高→輸出減・輸入増→鉱工業生産の低下→労働生産性の停滞→単位労働コストの底上げ」さらに実効レートによる円高の程度がドル安のそれより大きかったことが、その影響をはるかに強烈なものとした。先にアメリカのドルについて見た為替の実効レートは、円の場合、95年には90年に対し約4割も上昇している。これは、主要貿易相手国としてアメリカの占める割合がきわめて高く、また、90年以降は、ドル安というより円の独歩高が続いたためであろう。
これらの指標のうち単位労働コストについて見てみよう。単位労働コストは、91~95年の間、自国通貨(円)ベースの上昇率(ベース・アップなどによる通常の上昇率)は6~7%でアメリカとあまり差がないのに、これを実効為替レートではじくと5年間の上昇はきわめて大幅である。
このように単位労働コストが対外的には大幅に上昇したことが、「産業空洞化」を過度に進めるとともに、円高による「輸入価格の低下→デフレ圧力」との間で大きな矛盾となった。輸入価格の低下によるデフレ圧力がある一方で、海外の産業との価格競争力を左右する実効為替レートでの労働コストが上昇した。これでは製造業部門は立ち行かない。労働コストの安定がインフレの芽を摘むという好循環を呼んだアメリカの場合とは対照的である。
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