アメリカの軍部は、民主党の政治家が楽勝と誤った判断をくだしたベトナム戦争に巻き込まれ、威信を失った。湾岸戦争はあまりにも短く、かつハイテク化されていたので、アメリカ軍の奮戦ぶりを世界に示すことができなかった。そのため彼らはまだ威信を回復できず、あいかわらず米軍部には民主党にたいする怨念がくすぶっている。「私はベトナムの幽霊をさがしたわけではない。だが、ベトナムの幽霊は存在し、ベトナムの幽霊は私を見つけた。市民の健康(精神状態)を左右する、ベトナム戦争で不当に傷つけられた二つの体制、アメリカ軍部と民主党に及ぼした傷のなかに、もっともはっきりと残っていた」。
ハルバースタムは、結びをこのような文で終えている。米軍部の怨念というのが気懸かりである。怨念をはらしてくれるのは、民主党の反対党である共和党であり、それがブッシュ政権であるとすると、どういう展開になるか考えざるを得ない。アメリカ文学をまちがいなく代表する『白鯨』(一八五一年)をのこしたハーマンーメルヴィルは、ものごころつく頃までWTCビルがあった近くで過ごした。彼の心象風景のなかには、かつてのニューヨークがくりかえし出てくる。当時とはくらべようもなく激変したが、驚愕するしかないほど今を的確に千言するくだりを引用しておかねばならない。それがあまりにも不気味だからである。
指導者はそれと気づかぬ時に、俗衆が却って指導していることが多いのだ。しかし、数度も商船水夫として海の匂いを吸ったあげくに、いま私か捕鯨船に乗ろうというのは何故か。このことは、眼に見えぬ「運命」の警吏、つねに私を監視し、ひそかに私をいじめ、説明しがたい力で私を操っている彼が、一番よく知っていることだ。たしかに、今度私か捕鯨の航海にゆくということは、遥かな昔に書き込まれた天命の番組の一部をなしているのであろう。大きな演奏の間の、短い中間曲あるいは独奏として挿大されたものにちがいない。この前後の番組はこんなふうにでもなっているのではないかと私は思う。
同時多発テロ発生から、ちょうど一週間がたっていた。九月一八日の午後六時三〇分、ホワイトハウスのオーバルオフィス(大統領執務室)に招かれた記者団の前には、ブッシュ大統領とフランスのシラク大統領がソファーに隣り合って座っていた。「みなさん、このオーバルオフィスに、私の親友であり、アメリカの親友でもあるシラク大統領をお迎えすることができ、たいへん光栄に思います。一週間前のあの恐怖の日以来、私かお受けした世界首脳の最初の公式訪問です」。ブッシュ大統領は記者団に向かって、こう切りだした。
2014年5月3日土曜日
2014年4月17日木曜日
貨幣余剰と労働力余剰
郷鎮企業は、中国全体の過剰労働力の解消にも大きく貢献しうる資格をもっている。実際のところ、中国の総労働力のうち都市の国営企業を中核とする非農業労働力は、一九八三年の一億一五一五万人から一九九二年の一億四五一〇万人へとこの間二九九五万人増加したが、既述したごとく同期間の郷鎮企業労働力の増加数は七三四七万人であり、それを大きく上まわった。
もっとも、郷鎮企業は全国一様に発展しているわけではない。大都市圏、ならびに大都市圏を後背地としてもち、かつ豊かな農業地帯を擁するという地理的条件をもったいくつかの沿海諸省に集中している。その典型例が上海経済圏に近い江蘇省南部である。ここは一九七〇年代後半から農村工業化が急速に進み、それにともなって余剰労働力が激しく流動化した地域であり、「蘇南モデル」として全国農村の熱いまなざしを受けている地域でもある。
郷鎮企業にこのような拡大をもたらしたのは、農村とのあいだに横たわる労働生産性の格差である。郷鎮企業の労働力I単位当たり生産額、すなわち労働生産性は一九九二年において一万七四六六元であり、同年の農業の二六〇七元を六・七倍も上まわった。農民収入に占める非農業収入比率は一九七八年の七・〇%から一九九二年には三〇・八%へと上昇した。農民が農業への投資を縮小し、郷鎮企業を中核とした工業部門へと、余剰の資金と労働力を激しい勢いで投下しつづけたことの帰結である。
郷鎮企業の技術は伝統的なものが多く、高い労働集約性がその特徴である。そうした特徴のゆえに、郷鎮企業は農業部門からの強い労働力吸収を可能にしている。そしてまた、このことが土地に対する強い人口圧力を緩和して農業生産性を上昇させ、貨幣余剰と労働力余剰をさらに郷鎮企業に向けて吐きだす条件を醸成するという、「累積的経緯」を生むであろうことが期待できる。
もちろん郷鎮企業の生産物は、農村の最終需要と直接的な結びつきをもっている。こうして郷鎮企業の生成は、自由な要素市場(資本・労働市場)と商品市場(財市場)を介在して、農業部門と工業部門とのあいだに有機的な連関(リンケージ)をつくりだす新単位として生まれてきた。
もっとも、郷鎮企業は全国一様に発展しているわけではない。大都市圏、ならびに大都市圏を後背地としてもち、かつ豊かな農業地帯を擁するという地理的条件をもったいくつかの沿海諸省に集中している。その典型例が上海経済圏に近い江蘇省南部である。ここは一九七〇年代後半から農村工業化が急速に進み、それにともなって余剰労働力が激しく流動化した地域であり、「蘇南モデル」として全国農村の熱いまなざしを受けている地域でもある。
郷鎮企業にこのような拡大をもたらしたのは、農村とのあいだに横たわる労働生産性の格差である。郷鎮企業の労働力I単位当たり生産額、すなわち労働生産性は一九九二年において一万七四六六元であり、同年の農業の二六〇七元を六・七倍も上まわった。農民収入に占める非農業収入比率は一九七八年の七・〇%から一九九二年には三〇・八%へと上昇した。農民が農業への投資を縮小し、郷鎮企業を中核とした工業部門へと、余剰の資金と労働力を激しい勢いで投下しつづけたことの帰結である。
郷鎮企業の技術は伝統的なものが多く、高い労働集約性がその特徴である。そうした特徴のゆえに、郷鎮企業は農業部門からの強い労働力吸収を可能にしている。そしてまた、このことが土地に対する強い人口圧力を緩和して農業生産性を上昇させ、貨幣余剰と労働力余剰をさらに郷鎮企業に向けて吐きだす条件を醸成するという、「累積的経緯」を生むであろうことが期待できる。
もちろん郷鎮企業の生産物は、農村の最終需要と直接的な結びつきをもっている。こうして郷鎮企業の生成は、自由な要素市場(資本・労働市場)と商品市場(財市場)を介在して、農業部門と工業部門とのあいだに有機的な連関(リンケージ)をつくりだす新単位として生まれてきた。
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