2015年12月18日金曜日

アイデンティティの防御

アイデンティティが透明なるがゆえのアイデンティティ不確実感は日本と日本人の「もろさ」へと直結する。これが日本人に盲目的なナショナリズムと「妄想」を生む土台となるからである。それゆえ、これについては後で詳しく論じることにする。

加えて、日本と日本人のアイデンティティの透明性は、それが「作為の法則」によってではなく、「自然の法則」によって形成されたものである、という点にも注意を払うべきである。

日本と日本人のアイデンティティの透明性は日本海という「天然の防壁」によって形成されたものだからである。まさにこの点で、要塞文明が持つ「作為の法則」によって生まれた人工国家アメリカと好対照をなしている。

だが、日本と日本人のアイデンティティの透明性は「自然の法則」によって生まれたために、「防御」に対する脆弱さという「もろさ」を原理的に抱えている。日本の無常感文明は、要塞文明と対峙した際に、押しまくられてなす術がない状態へと陥りやすいのである。

この点、「作為の法則」から生まれたアメリカが、常に自分たちのアイデンティティをどう維持してゆくかに自覚的にならざるをえないがゆえに、アイデンティティの防御に長けているのと好対照をなしている。

日本人の自我のひ弱さから文明のアイデンティティに至るまで、「防御」に対する脆弱さもまた日本文明の抱える「もろさ」の一つである。したがって、これについても後であらためて論じることにする。