2015年11月19日木曜日

国民の生命と財産の守りを強化するという発想

無常感こそが、古代より今日までわが国に「防御」やダメージ・コントロールの思想をなかなか根づかせなかった根源なのである。西欧の童話『三匹の子豚』の話にあるように、「石の家」がオオカミの攻撃に対してもっとも防御力がある。オオカミとは平時における災害、有事における戦争のことである。西欧ではすでに古代ローマの時代から火事に弱い木造建築を禁止し、広場を造り、道路を広く取って火事に強い都市造りをはじめている。むろん広場は有事には兵士の集合場所となる。

公園も同様である。西欧では堅固な城壁を築いて戦争に備えるだけでなく、災害にも強い都市造りを古代から「作為的に」行なっているのである。これが要塞文明なのである。ところがわが国では室町時代あたりから都市が造られたのだが、そのオオカミに対する脆弱さは今日に至るも解消されたとは言い難い。江戸の密集した木造家屋はたびたび大地震や大火で灰燈に帰したし、関東大震災も同様であった。

日本の軍部は英米との戦争に備えて戦艦大和は造ったが、このもろく燃えやすい密集した木造家屋群をどうにかしよう、などという「防御」の発想は露ほども持たなかった。そこをアメリカ軍に突かれて、焼夷弾攻撃によって日本の都市は大損害をこうむったのである。日本の軍部は「攻撃は最良の防御なり」などといって攻撃力の強化や戦線の拡大ばかりに熱心で、日本に堅固な防災兼防御都市を造ることで、肝心要の国民の生命と財産の守りを強化する、という発想が皆無だったのである。