2015年10月19日月曜日

ひろい視野での優先順位の見直し

また保険料は均一とするのか、所得状況を付加するのか。構想では、家庭内介護には保険からの支払いを行わないようであるが、家族の「犠牲」をそのまま放置するのか。家庭内介護者が介護保険料を支払いつつ、他方で自らの生活を犠牲として介護に従事すること自体、大きな矛盾ではないのか。あるいはまた、老齢年金受給者からも保険料の徴収が構想されているが、すでにみた年金の給付状況では、高齢者に保険が機能するほどの保険料支払能力があるのだろうか。

さらに、国と自治体による介護保険制度への財政援助も構想されているが、保険である以上、事業経営主体である保険者を誰にするのか。国保と同様に市町村とする意見もあるが、その場合には、再論するまでもなく保険として機能する条件は、はじめからきわめて限定されていよう。国による一元的保険あるいは都道府県を単位とする広域保険とするばあい、基本的に保険料徴収基準は画一的となるだろう。

その時、地域間における公的介護施設や在宅サービスの水準の格差をどうするのか。それは医療保険における施設や医師などのヒューマンーパワーの格差以上に、深刻な実施上の問題となるだろう。ここに指摘したような疑問は、厚生省の関連諮問機関および厚生官僚制内部から、説得力あるプランとして、なにひとつ示されていない。細部を明らかにしないまま「ドイツに続け」(九五年から導入)では、あまりにも拙速である。

介護保険制度が、内部の細かい議論をはぶいたまま実現に向かって動き出そうとしている。その背後には、「消費税の増税装置」との見方もくすぶっている。なぜならば、介護保険制度を導入する時、いずれにしても国庫負担は避けられないし、増加していかざるをえない。それは大蔵省のねらう消費税の税率引き上げに正当性を与える。しかし、消費税率が引き上げられても、介護保険基盤の安定のための国庫支出金が増える保証はない。

深刻な高齢化の進行は、国民所得にしめる租税・社会保障費負担の増加を避けて通ることはできまい。だからこそ、特定政策分野に視野を限定した「粗雑」な費用負担制度を、構想してはならないのである。消費税を「益税」などという言葉が生じないような付加価値税に改めるのは当然として、予算の優先順位を全体として見直し、高齢化社会における市民生活の安定のための予算政策が、考えられなくてはなるまい。前節でみたような公共事業予算の構造をそのままにしておいて、財源難の解決を増税ないし新たな社会保障負担に求めても、納税者の理解を得るのは難しい。高齢化社会における予算政策は、日本の政治にとって「未知」の世界である。それだけに政治の責任と創造力が試されている。