2015年6月18日木曜日

人的インフラストラクチャーの不足

輸送手段にしても、市場経済では中央集中型の鉄道輸送でなく、地方分散型のトラック輸送が主役だが、いまの東欧諸国には道路もトラックもない褐炭を使った火力発電所や西側の安全基準に遠く及ばない原子力発電所など東欧諸国の環境破壊の現状を見ると、生産を拡大するために新しい発電施設を作るより以前に、まず現存施設の安全対策に多額の投資をする必要がある。ドイツではすでに一一基ある東ドイツの原子力発電所のうち六基を閉鎖する決定が下された。だか、代わりの発電所を作る金はどこから出るのだろ

ソ連のように一種類の製品につき一ヵ所しか生産施設を持たない国が工場を非国有化すれば、独占企業がつぎつぎに誕生して価格をつり上げるのは目に見えている。価格競争のある市場を作るためには新しく工場を建設しなければならないが、そんな金はない。たとえ金があったとしても、新しい工場は一晩や二晩で作れるものではない。

農民たちも、資本主義農業への転換に二の足を踏んでいる。どこでトラクターを買えばいいのか、どこでガソリンを買えばいいのか、どこで種を買えばいいのか、見当もつかないのだ。作物が収穫できたとして、こんどはどうやって運べばいいのか、どこへ売りに行けばよいのか。農業器具を売る側も、あるいは農作物を買い取る側も、農民のほうから商売を持ちかけてくるまで動かない。みんな相手が最初の一歩を踏みだすのを待っている。最初に事を起こせば、かなりのコストがかかるし、まわりが同調しない危険性もある。結局、だれも最初に商売を始めようとしないのだ。
 
東欧の労働力は一応の教育水準に達しているものの、市場経済に適応するにはまだ足りないものがある。第一に勤労意欲が。旧共産圏諸国を訪れたことのある人なら誰でも気づくことだが、工場労働者の勤労意欲は非常に低い。ソ連ではやっていたジョークか理由をうまく言い当てている。「労働者は働くふりをするのさ。政府が給料を払うふりをするから」。働いても金にならないなら、誰も働く気にはなるまい。

これからは働けば金になるかもしれないか、生まれてこのかた共産主義経済の下でやってきた労働者たちには、一生懸命に働かない生き方が骨の髄まで染みこんでしまっている。ちゃんとしたインセンティヴを与えられれば、彼らもやる気を起こすだろうか?一所懸命働けばいい暮らしができるということになれば、みんな一所懸命働くようになるだろうか?確たる答えはどこにもないが、私はたぶんそうなるだろうと考えている。資本主義諸国から流人してくる商品を手に入れたいという意欲にひっぱられて働くようになると思うからだ。だが、私の予想ははずれるかもしれない。