2015年5月23日土曜日

奇妙な部屋

だがそれでは困る。そこで目標会議ではまず、誰がなにを担当しているのかをはっきりさせる。そのうえで、一週間ではなにをどういう方法でやっておくのか、一ヵ月後はどういう目標か、また三ヵ月にはどういう目標かを、私と討論しながら決めてゆくのである。漠然となにかを考えているのではなく、それを具体的にどう進めてゆくか、なにをどういう観点で調べるとか、誰になんの目的で会ったり、どんな方向で交渉してみるかを決める。

もちろんこの会議以外のときでも随時、打合せ、指示などのフィードバックはするのだが、皆のいる前で、かんたんでも、問題をはっきりさせておくことに意味がある。それが大テーブル主義である。それに、若い人たちが発言をする訓練にもなるし、なによりも若い人たちに、自分の仕事として自覚してもらい。精いっぱいの力を引きだす機会になる。若い弾力性ある人びとの力を伸ぼさなくては、新しい仕事はできない。上の方だけでこそこそ話をしていて、ときどき情報のかけらを下に流すのでは、「やる気をだせ」といってもだめである。

そんなことをいわなくても、情報をどんどん流し共有化し、発言をさせ、一緒になって考えていれば、若い人たちは自らやる気をだしてくるものである。指示も適切、確実でタイミングが必要である。実際に衝に当たる人びとにじかに伝えるほうがよい。ただし、大テーブル主義を実行してゆくのに、一人一人全部を相手にするのだから、長の立場はたいへんである。私が局長の頃、最終には局の人員が六〇人を超えていた。これは限界であったろう。

ルーチン化、定型化をせず、総合性を要する仕事には、こうした方法が必要である。企画調整局の内部がばらばらになってはなんにもならない。また若い人に自由に発言してもらうことは、私自身もフレッシュにものを考える刺激になる。もちろん課長、部長の管理職とは、別に管理問題、人事問題、議会問題などの打合せをする。それはそれで、目標会議の方向を実務の上で実現するために、重要な役割を果たすのである。

奇妙な部屋ではこんなふうに、部屋の様子や、ちょっとした備品、仕事の進め方、会議の方法も変わっていた。次第に古めかしい役所流は払拭されてゆく。人間は変わってゆくものである。そのうちに役所でない外部で育った人びとも市に入ってきた。従来から役所で育った人びととは、お互いにいい刺激になり、どちらも成長してくる。これまでのお役所式といわれるのは、法令とか前例とかだけで仕事をする。固くるしい形式論理の上に立っており、新しい課題が現われても法令に書いてないとか、予算がないとかいって避けてしまう。創造的な仕事には前例がないと否定する。こうした自らの思考を停止してしまう状態が一般的であったが、これでは「定型的固定型」である。