2015年3月19日木曜日

中国への直接投資額の急上昇

日本でのアメリカの軍用機の組み立てに似ていて、その目的は経済収益をあげるにとどまらず、組み立て生産システムそのものを習得し、一部部品は中国でも生産して、中国の設計・生産技術を高めることにもある。郵小平は天安門動乱以後の中国経済のこのような変化を見て、一九九二年の一月から二月にかけて、経済特区を視察し、この地域の経済発展は中国の将来の一つのパターンとして重要な意味を持つと判断したのであろう。それに応えて、ことにハイテク製品の製造企業には、その製品を全量海外輸出に向けることを条件として、経済特区での優遇措置をさらに拡大する法律が作成された。海外資本の中国への直接投資額は、一九九一年の二八九億ドルから九二年の四三七億ドルヘ、さらに九三年には六七〇億ドルヘと急上昇を遂げたのであった。

趙紫陽も沿海各地を視察した後、「わが国沿海地域の経済は、有利な発展のチャンスを迎えている。先進諸国・地域は、たえず産業構造を調整し、労働集約産業は労賃の低いところへ移りつつある。この移動において、わが国の沿海地域はおおいに吸引力を持っているはずだ」と語ったのである。部小平も趙紫陽も、日本を追ったアジアNIESの経済発展のパターンを、中国沿岸地域に持ち込もうとしたのであるが、彼らはむろん、それが中国経済の発展のパターンの一部に過ぎないことを承知していたであろう。中国と他の東アジア諸国との経済と技術との違いは、中国が、アメリカやロシアやヨーロとハ諸国と宇宙ビジネスで競り合うほどの、高度の技術力を持っている一方、全国農村に展開する郷鎮企業が比較的素朴な技術できわめて大衆的な工業製品を製造し、それが中国の日用品やセメント、石炭などの国内需要を満たしているばかりでなく、輸出貿易においてもきわめて重要な役割をはたしていることである。