2015年1月22日木曜日

地価と競争力

バブル経済の時代、土地についてはどうだったか。大都市圏の地価は、80年代半ばまで、名目GNPをやや上回る程度の上昇たった。ところが85年以降、株式にやや遅れて90年にピークをつけるまで、この趨勢を大きく突き破る急騰を続けた。この問の土地の累積キャピタル・ゲインは、株式のそれを大きく上回る1420兆円、90年のGNPの3.3倍に達する規模となっている。

このように、株式と連動した地価のに」昇も、アメリカから見れば問題があるように思われた。80年代末の時点で、日本の土地は国富総額の約70%を占めるにいたったが、アメリカでは約25%にすぎない。

土地に対する感覚は大陸国家のアメリカと島国の日本では当然異なり、こうした資産構成の差は基本的には国内問題である。ところが、日本の土地資産額(90年末で2400兆円、国民経済計算による推計値)がアメリカ全土の土地資産額の約4倍に相当するということになると、アメリカとしてもこれを見過ごすことはできなかった。

土地の含み益もまた、企業の競争力にがらんでくる。日本では株式と同様、土地についても法人については相続税がなく、個人に対し法人の土地保有が進みやすい。また社歴の古い企業ほど大きな土地の評価益を擁しており、しかもこれが80年代を通じて急激に膨張した。

かつては日米問で企業の競争力をめぐる論争が起きると、目木側は、短期の業績に縛られたアメリカ企業の経営の欠陥をついておればよかった。ところが、80年代末にもなると、アメリカの短期業績主義への批判は、ただちに日本企業が擁する種々の経営上の「クッション」に対する批判となって返ってくるようになった。地価の高騰も求だ、アメリカ企業からみれば、彼らの主張する「平等な競争条件」に反するわけである。

89年には日本異質論者の一人として知られるジェームズ・フアローズが、具体的方法は明らかにしなかったが、「日本封じ込め」を主張していた。冷戦構造の崩壊により、日本は「悪の帝国」ソ連に代わる経済的脅威として認識されるようになった。

この言い古された論評の当否はともかく、ワシントン、それも議会というより、財務省において、日本のバブルを「諸悪の根源」とする判断が形成されていったことを、種々の状況証拠は示しているようである。