2014年8月23日土曜日

驚くべき日本

『ロンドンーエコノミスト』誌だが、この雑誌は私にとって異国の経済誌であるにとどまらない、或る特別な思いがあった。というのは、六〇年代に同誌の日本経済報告『驚くべき日本』を読んで、そのなかに《日本人は美に優れた感覚を持っているのに醜さに対しては全然無感覚だが、イギリス人はそれとまったく正反対だと言われているyということばに出会って、つよく印象づけられたからである。経済論がそのまま文化論になっているのに感心したのである。

そういう思いもあったので私は、覚悟を決めて、今回の問いかけに対して、手短に次のように答えた。すなわち、これは、日本の《バブル経済》の在り様からいって、前々から危惧されていたことの一端ではあったが、たいへん残念なのは、あの八〇年代後半以降の異常な好景気のときに、浮かれてばかりいないで、なぜ、当然予想された来たるべき景気の低迷や不況に対応するようないろいろな手が、経営者たちの責任で打たれていなかったか、ということである。

そのときどきの気分に容易に動かされやすく、ムードに弱いわれわれ日本人は、ときにはあまりにも楽観主義的になるかと思うと、ときにはあまりにも悲観主義的になりがちである。そして、大衆的なテレビや週刊誌ばかりでなく、冷静であるべき新聞も、今回の危機には過剰に反応しすぎている。したがって、このような危機に直面してとるべき態度は、いたずらに浮き足立ってペシミスティックになることを避け、なによりも頭を冷やしてリアリスティックに現実を直視し、現実に対処することではなかろうかと。

さて、私が『ロンドンーエコノミスト』誌のインタヅユーにそのように答えたことには、次のような背景があった。すなわち、最近たまたま、現在の日本および日本人の国際的に置かれた状況について、専門のまったくちがう一一人の大から、期せずして、日頃私か思っていたことに通じるような意見を聞いて、考えさせられていたのだった。そのひとりは、社会学者の上野千鶴子さんである。「共同通信」のために一九九八年正月用の対談をした折、一九九六年度に、一年間の招聘教授としてアメリカとメキシコに滞在していた上野さんは、外から見た日本について、次のように言っていた。

日本の優秀とされている若手研究者たちの多くは、欧米とくにアメリカの若い研究者だちと比べて、Eメールなどを駆使して自分の意見を世界に発信する気迫があまりにも乏しい。また、みんな永い間英語を学んできているのに、自分の意見を世界に発信するだけの語学力も身につけていない。なかには、れっきとした研究者なのにEメールをローマ字で送ってくるものもいる。彼らは、閉じられた日本のなかでぬくぬくと生きていて、日本がアジアの一角にある島国としてどれだけ世界の知的活動の中心から隔絶しているかを、まるで自覚していない。このままでは日本は学問的・文化的に真に国際化することなど、到底難しいのではないかと。