2013年11月6日水曜日

豊かさを計る尺度

ヒューマニズムとは、堂々たる体系をもった哲学理論でもなく、○○主義と称される思想でもなく、洋の東西も、時の古今も問わず、わたしたちがなにをする時でも、なにを考える時でも、かならずわたしたちに備わっていたほうが望ましい、ごく平凡な人間らしい心がまえである。それはいかなる時でも、いかなる事柄に関しても、「それは、より人間的であることとなんの関係があるのか」という問いかけである。この意味で、第四代ブータン国王のGNH「国民総幸福」論は、れっきとしたブータン仏教ヒューマニズムである。それは、世界的なGNP「国民総生産」重視の経済至上主義趨勢の中にあって、「国民総生産の成長は、国民がより人間的な生活を営むこととなんの関係があるのか」「経済発展は、人間が幸福であることとなんの関係があるのか」という、一見非力、無力としか映らないであろうが、それでいて勇気のいる、果敢な問いかけである。

ブータンに住み、ブータン人の日常生活に触れるにつけ、ある日思い出したのは以前読んだ竹山道雄(一二九〇三-八四)の『ビルマの堅琴』二九四八年)の数節であった。太平洋戦争末期のビルマ(現ミヤンマーを舞台に書かれた文章であるが、思い出したのは次のような箇所であった。「ビルマはさかんな仏教国で、住民は極度に低い生活で満足していますから、人の心もおだやかです。よくいえば欲がなく、わるくいえば無気力です」「どこに行っても、ビルマ人は楽しげです。生きるのも、死ぬのも、いつもにこにことしています。この世のこともあの世のことも、めんどうなことはいっさい仏様にお任せして、寡欲に、淡泊に、耕して、うたって、おどって、その日そ。の日をすごしています。ビルマは平和な国です。弱く貧しいけれども、ここにあるものは、花と、音楽と、あきらめと、日光と、仏様と、微笑と」

この叙述はブータンを描いたのではないかと思えるほどで、文中のビルマをブータンにおきかえれば、そのまま一九八〇年代のブータンにぴったりと当てはまり、仏教徒であるブータン人の真髄はここに要約されている。『ビルマの堅琴』では、こうしたビルマ人の仏教徒としての生き方を前にして、日本兵の間でその是非をめぐって論議が交される場面が数カ所ある。そして、このような深い問いかけがなされている。一生に一度軍服をきる義務と袈裟をきる義務とでは、そのよってきたるところは、結局は谷っいうところにあるのだ、ということになりました。つまり、人間の生きていき方が違うのだ、ということになりました。一方は、人間がどこまでも自力を頼んで、すべてを支配していこうとするのです。一方は、人間が我を捨てて、人間以上のひろいふかい天地の中にとけこもうとするのです。

ところで、このような心構え、このような態度、世界と人生に対するこのような生き方ほどちらがいいのでしょう? どちらがすすんでいるのでしょう? 国民として、人間として、どちらが上なのでしょう?」「軍服をきる義務」を「経済大国の繁栄を支える企業戦士として働く義務」に、そして「袈裟をきる義務」を「仏の教えに従って生きる義務」とでも置き換えたら、この問いは、現在の日本とブータンにあてはまるであろう。もちろん時代も状況も全く異なるが、国立図書館顧問としてブータンに赴いたわたしが、ブータン人の生き方に接して自問したのはまさにこのことであった。一〇年に及んだ滞在中、折あるごとに繰り返し繰り返し自問した、自問せざるをえなかったことである。

そして結果的にはこれといった結論が出なかった、出せなかった問いである。自分が生まれ育った日本、帰化したフランス、そして今新しく生活しはじめたブータン、この三国の常識、価値観、習慣、社会制度、生活レベルなどのすべてを考慮した総括的な全体。これは長い歴史的変遷を経て重層的・有機的に積み上げられたもので、これが文化・文明だと思うのは、まさに三者三様である。同じ二〇世紀に、同じ地球上に生きる人間なのに、どうしてこんなにも異なった生き方をするのか、摩詞不思議ですらあった。『ビルマの堅琴』の中で、ビルマを評して、こんなことをいう日本兵がいる。「こんな弱々しい、だらしのない国があるかい、電灯も汽車もみな外国人につくってもらっている。ビルマ人はすべからくルーンジをぬいで、ズボンをはいて、近代的になれ。