2013年4月1日月曜日

写真選びの勝負どころ

なんだかマニュアルカメラ礼賛になってしまいましたが、手軽な全自動カメラで写真を撮る楽しみに目覚めたら、もうワンランク上を目指すのは自然の成りゆきです。なにもクラシックカメラに大枚を投じなくても、フルオートでも、一眼レフカメラにはたいていマニュアル露出装置がついているので、たまには手動にして撮ってみてはいかがですか。ここで少し、出版社での写真選びの現場について述べてみます。撮影取材を終えて社に戻ると、白黒フィルムならできるだけ早く現像し、べ夕焼きと呼ばれるコンタクトプリントをつくります。カラー少バーサルであれば現像所に出します。三十六枚撮りのフィルムならIスリーブに六コマずつ、六本のポジフィルムが上がってきます。

ここからが写真選びの勝負どころです。四倍のルーペでのぞきながら、使用目的にもっとも合っていると思われる写真に、ダーマト(写真用の色鉛筆)で印をつけてゆきます。人物写真であれば、まずピントが合っていない、ブレている、表情がよくないものから落としてゆきます。次に、背景とのつり合いが悪いもの、全体のバランスがよくないもの、そして最後に、何となく気に入らないものを落とします。こうして残った、自分が良いと思ったものとマアマアと思えるものを、モノクロフィルムであれば、暗室で引き伸ばしてプリントにし、カラーポジなら一枚一枚切って透明なフィルムパックに入れて編集部に持ってゆきます。

「お、いい写真じやないか」と一発で決まればメデタシメデタシですが、しばしの沈黙が流れたのち編集者が、「もう少し全体が入ったものはないの」とか「この人の特徴は人なつこそうな笑顔なんだけどね」などと言い出したらパドルの始まりです。こっちだって、そんな写真があれば、当然、焼いています。ないものはないので、目の前の写真がなぜよいか弁明にこれつとめます。最悪の場合は、「あなたの撮ったべ夕焼きを見せてくれないか」というところまでいってしまいます。

カメラマンにとってべ夕焼きは、取材記者のメモ帳と同じです。取材記者が上司から「メモ帳を見せろ」といわれたら、お前の取材はなってないといわれたも同然です。それと同じでカメラマンも、できればべ夕焼きは他人に見られたくないものです。べ夕焼きを見れば、撮影者が何をどう撮り、何を撮らなかったか、取材意図を理解していたかどうかまで、すべて分かってしまうからです。編集者に渡したべ夕焼きから、自分が選んだものとは別のコマがピックアップされ、大きく扱われたようなときは、なぜこのカットが自分の目にとまらなかったのかと、ちょっと自信をなくすこともあります。

新聞社や出版社がカメラマンを採用するとき、筆記試験のほかに、課題を出して実技試験を行なうのは、撮影技術もさることながら、撮った写真のべ夕焼きから、対象にどういうアプローチをしたかを見たいからです。ヒットーアンドーアウェイの撮り方をする者、一つの対象にねばり強く迫ってベストの一枚を撮ろうとする者とさまざまですが、べ夕焼きを見れば、その人の性格は歴然と分かります。

わたしが在籍していた写真部では、雑誌のグラビアに使った写真と人物写真はすべてべ夕焼きを取り、ファイルに貼っていました。それを見ると、同僚が、ある人物をどう理解し、何を引き出そうとしたかがよく分かり、とても勉強になりました。発売された雑誌に「やってくれたな」と密かに白旗を掲げざるを得ないような写真を見つけたときは、こっそり彼のべ夕焼きのファイルをひっくり返して研究したものです。